宮前忠夫著作「企業別組合は日本の『トロイの木馬』」読書メモ

◆◆宮前忠夫著「企業別組合は日本の『トロイの木馬』」読書メモ

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宮前忠夫著「企業別組合は日本の『トロイの木馬』」の紹介と筆者コメント

労働総研・労働運動部会(17年6月)で報告した読書感想です。企業別組合克服論についてたいへん独創的・刺激的な提案がされており、とくに国際的な視点について傾聴すべき提起がふくまれています。しかし、それを具体化した日本での克服方向については、一面的な主張が多々ふくまれています。それらをあえて指摘させていただきました。

筆者の見解に異論のある方もいらっしゃると思いますので、このブログで反論その他を掲載いたしますので、投稿していただければ幸いです。投稿欄から御連絡下さい。

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❶第1~2章 労働組合、トレードユニオン、企業別組合の用語と定義について=宮前氏の中心主張

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【宮前氏】

▼「団結体としての、個人加盟、職業別・産業別を原則とする労働者組合」こそ「国際的な常識」

トレードユニオンtrade unionの訳語は、労働組合となっているが、この労働者組合のこと。

国際的にも今日的にも、「労働者組合、職業別・産業別労働者組合が常識的なもの」「これらの用語・概念には企業別組合(会社組合)は原則的には含まれず、そこから排除されている」(359頁)。

▼企業別組合=会社(別)組合 company unionのこと。company union は御用組合(yellow union)ではなく「会社単位、会社別」という意味。御用組合に転化しやすい(293頁)。enterprise unionは和製英語。企業別組合は「工場・会社・企業など一資本系列の、いずれかのレベルにおける被雇用者集団のみを構成員とする組合のこと」その本質は「団結(体)としての労働者組合」ではなく「団結破壊のためにつくり出された会社組合の一亜種、いわば「日本型会社(別)組合(the Japanized company union)」(368頁)。企業別組合は、労働者組合の「反対物・障害」。財界・支配勢力が労働者支配のために送りこんだ「トロイの木馬」。

▼労働組合=企業別組合と同じように日本独特の用語。片山潜をのぞく高野房太郎・城常太郎・沢田半之助の誰かがtrade unionの訳語として使用して以来。労働者組合や企業別組合(会社組合)などすべてがふくまれるあいまい用語。この用語によって労働者組合という本来の意味が忘れ去られ、労働組合=企業別組合という意識が広がってしまった。「日本の常識は世界の非常識」となった。

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【筆者コメント】

●国際比較でそうであっても、労働組合という用語はすでに日本で一般化。きわめて広い概念として使用されている。労働者組合、企業別組合ふくめて使用するしかない。

●また企業別組合=会社組合は、日本の企業別組合の多様性を表現できていない。まして「企業別組合=トロイの木馬」=「敵側から労働者側に送りこんだ戦闘装置、社会的偽装装置」も日本の企業別組合の多様性を表現できない。日本の企業別組合は、「企業別組合の勢ぞろい」的弱点をもっているが産業別組織(単産)をもち産業別統一闘争をそれなりに追求している。また会社組合化している企業別組合もあるが、階級的民主的潮流が指導権を握り、要求闘争や産業別組合化を追求している組合も存在する。その意味で白井泰四郎・戸木田氏などの「企業別組合は独立した権限をもつ」という企業別組合の定義は、本質をとらえているが、日本の企業別組合の多様性を十分表現できていない。

●日本の労働組合運動の困難の要因は、なによりも大企業を中心に右翼的潮流が主導権を握り、欧米ではごく当たり前の労働者の要求闘争を組織できず、民間の多くの職場では、大企業の労働者支配の補完的役割を果たしている点にある。確かに宮前氏が問題意識としてもっている企業別組合という組織形態の弱点も困難・後退の大きな要因ではある。大事なのは、未組織労働者の組織化をふくむ労働組合運動の階級的民主的強化と労働者の要求闘争をどう前進させるかという戦略をもち、その一環として、組織形態の解決方向を位置づけることが欠かせない。宮前氏には、その視点が欠如している。階級闘争の視点から企業別組合という組織形態や改革方向をとらえるべきと初めて55年に指摘した高橋洸氏の視点(「日本的労資関係の研究」など)が貴重だ。

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❷第3~4章 企業別組合は日本でどのように誕生したのか

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【宮前氏】

(1)戦前第一の源流

1920年前後に日本の大企業・財閥によるアメリカ型会社組合company unionの移植。前田一や財閥による「労働組合法案」対策=1921年「英米訪問実業団」など=「労働組合法での企業別組合の法認」=「会社組合による戦闘的労働者組合の排除」。西尾末広・松岡駒吉協力。

(2)戦前第二の源流

戦争協力による会社組合の日本主義化、産業報国会化。

(3)第二次大戦直後の企業別組合の法制化と法認

▼「宝塚会談」(1946.2.13)=松岡・西尾・金正米吉たちと紡績資本家代表との会談=会社側が組合をつくり、まとめて全繊同盟に加入させる密約。「企業別組合を支配的な潮流にしていくための決定的結節点」。

▼「事業場産業報国会」の再編による「協調組合の存続」→GHQの反対→戦前の「工場委員会」(労資懇談会)による労働者掌握、これも失敗。高野実らの「産業別労働組合」や共産党による「自主的な工場委員会→横断的産業別組合」の動きの強まり。

▼企業別組合の法制化、法認

1945年労働組合法=「単位産報の存続を認めつつ、企業別組合を含む多用な形態を法認」。

1948公共企業体労働関係法=企業別組合的組織形態の導入

1949国家公務員法・地方公務員法=公務員労働者に「職員団体」制を強制。 

1949新労働組合法=企業別組合の法認の維持継続

1948-49 労働省の次官通牒行政=企業別組合を労資関係の基本にすえる制度化。

GHQは「職業別・産業別組合によるアメリカ型交渉単位」を追求したが労働省ネグレクト。

▼桜田武の企業別組合「勝利宣言」

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【筆者コメント】

●確かに川崎・三菱造船所や八幡製鉄所のストなどのひろがりに財閥・大企業が危機感をもち、1920年前後以降大企業を中心に企業別組合、会社組合などが形成された。同時期に「工場委員会」=労使協議制設置もあわせて追求した。小松隆二(「企業別組合の生成」)や河西宏祐(「企業別組合論」「企業別組合の実態」「少数派労働組合運動論」など)の、「第一次世界大戦後に企業別組合の原型誕生→産業報国会→戦後の企業別組合の形成」論を宮前氏は継承。果たして戦前の企業別組合は「源流」といえるのか。日本の企業別組合は、基本は戦後の産物ではないか(この点では「戦前・戦後の非連続」が正しい)。

戦前の労働組合が追求した組織形態の基本は、欧米に学び、産業別・職種別労働組合である。労働組合期成会、総同盟、評議会・全協などの取り組みはあらかた産業別・職種別労働組合である。宮前本65頁の表にみられるように1927年505組合31万人のうち「一企業の労働組合」は77組合10.8万人(組合比率15%、組合員数比率32%)にすぎない。企業別組合ふくめた組合別の内訳は、産業別組合195組合(組合数比率39%)・職業別組合175組合(35%)・一般組合135組合(27%)となっている。300人以下の中小企業が70%をこえ、ブルーカラー中心に産業別組合的・職業別組合的なものが組織されていた。総同盟右派もふくめて産業別を追求した点が大きい。

●敗戦直後の経済危機・生活危機的状態での未組織状態からの出発は、個人説得による個人加盟の組織活動でなく職員・工員全員を丸ごと結集する職場・事業所レベルの団結を基礎に事業所別労働組合(宮前氏は区別しないが、荒堀・戸木田・中林・大木・浅見・兵頭・兵藤・高木郁朗など多くの研究者の見解)という組織形態を追求した(=企業別組合にも産業別組合にも移行可能な組織形態)。産業報国会の直接の移行は少ない。それらが産業別交渉・横断賃率・一部は産業別協約と産業別統一闘争、産業別組合を志向した。45~46年に松岡・西尾の思惑をこえて、高野実主導の総同盟も、また当然ながら産別会議も産業別組合を追求した。戦前の企業別組合の経験をもつ大企業でも、この産業別組合づくりにまきこまれていった。企業別組合が戦後の産物であることは、この点からもいえる。

●GHQ占領政策の反動化、それに呼応した政府・財界・大企業、民同によって49~50年頃に企業別組合への組織転換が行われた。2,1ゼネスト中止、官公労働者のスト権剥奪、官公への定員法、ドッジラインによる民間の企業整備と大量解雇、民同を活用した分裂策動、49年謀略事件、レッドパージなどの労働者・労働組合への反動攻撃のなかで、産業別組合の一掃・企業別組合の育成が政府・財界・大企業によって周到に遂行された。46年2月という時期の「宝塚会談」が決定的役割を果たしたか疑問。また宮前氏は、「1949年の新労働組合法=企業別組合の法認の維持継続」に重点が置かれているが、重要なのはGHQ・労働省・日経連など政府・財界・大企業が一体となって、大企業から産業別労働組合色を一掃する「権利宣言型労働協約からアメリカ型協約への強行的転換」(末尾の筆者作成資料参照のこと)である。労働省や財界は、日本油脂→東芝、川崎重工モデルをつくりだしてその転換をはかろうとした。困難も抱えていたが産別会議・総同盟傘下の大企業の職場で激しいつばぜりあいのたたかいが展開された。双方の労働組合の反対で無協約状態がつくられたが、すぐに労働省・財界が協約締結運動を組織し、民同右派の協力をえて産業別労働組合色の一掃をはかった。なおこの時期に、年功賃金制と終身雇用制が形成され定着していく(ともに戦後の産物)。こうした企業毎の賃金決定方式と身分保障もまた企業別組合の形成を側面から促進することとなった。宮前氏は、「GHQが勧告し指導したのは、企業別組合ではなくアメリカ型交渉単位制・職業別・産業別組合」(114頁)とのべているが、そういうGHQの部分的発言があったかもしれないが、49年当時の反動化したGHQは、アメリカ型協約の導入をやっきとなって閉鎖的な企業別組合づくりを労働省に指示していたので、事実と異なる(この点については濱口桂一郎氏も疑問を呈している=hamachanブログ)。こうして企業別組合が誕生し、60~70年代に大企業を中心に、企業連の単一化もふくめ、企業別組合は日本に完全に定着し制度化されたのである。

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❸第4章 労働者たちに届かなかった世界労連の「勧告」、「一企業一組合」論

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【宮前氏】

▼47年3月の世界労連ルイ・サイヤン訪日報告および53年世界労連第3回大会報告=「産業別組織化を基礎とした労働者組合組織の確立」「トレードユニオンの有機的統一原則」「一企業一組合」を強調した。しかし「日本の当事者たちに伝達されなかった」「世界の労働者組合運動の教訓を正確に学び取ることができなかった」。

▼「一工場一労働組合」論=68年3月日本共産党10回党大会6中総=「一工場一労働組合、一産業一産業別組織、一国一中央組織」。荒堀広の「一工場一組合」(69年論文)。戸木田嘉久の「一企業一組織」論。宮本顕治の「一職場(工場)一組合」論として展開された。

この「一工場一労働組合」主義とその帰結=典型としての全造船機械労組石川島分会事件。「一企業一組合」論が同盟加盟策動の一環として分裂組織づくりに利用された。

▼金子健太氏の「一企業一組合」論=「労働組合は企業あるいは工場単位に組織されるものであり、労働組合を組織する場合は、その工場の全員もしくは絶対多数の参加がなければ組織できぬものだと考えている。これは労働組合にたいする正しい認識ではない」(66年)。「未組織労働者のなかに労働組合を組織する場合、今後は企業内労働組合を組織するのでなく、はじめから個人加盟の原則にもとづいて、地域的、地方的な産業別の労働組合を組織するために努力しなければならない」(65年)。10大会6中総では、産業別個人加盟の運動については「未組織労働者の組織は……労働者の要求闘争にもっとも適した組織形態として、全体として個人加盟および産業別結集という方向をたてまえとしながら、同時に、これを機械的に絶対化する画一主義におちいることなく、必要と条件によって地域別、企業別に結集をする」「一部には既存の労働組合が果たしている役割をみず、その企業別組合の弱点だけを強調し、不必要に対立したり、共同してたたかう努力をしないセクト的傾向が存在している」という方針を確認され、その後の日本共産党の方針に継承された。

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【筆者コメント】

●全造船石川島分会の例をどうみればよいか。「ナショナルセンターの選択の問題は、個々の労働組合自体の自主的な選択にかかわるわけであって、これは労働組合運動の公理であります。……労働組合というのは、私どもはある職場、ここでは一組合であるべきである。そしてそれがかりに反動的な、右翼的幹部が指導権をもっていても、そのなかで忍耐強く組織の統一を守って、そういったところでの指導方針が気にくわないという形で分裂すべきでないと考えております」(前衛80.5宮本顕治「革新エネルギーと革新勢力の新しい構築の展望」より。他に日本共産党19回党大会報告と決議。赤旗評論版87.11.10の若林論文や赤旗評論版87.11.17の島論文)。大企業内部でねばりづよく活動して変革していくという活動上の原則は今日でも正しい。右翼的組合から除名され、やむをえず労働組合を結成する場合がある(全動労・通信労組・郵産労など)、また一部大衆が自ら組合を結成する動きが生まれる場合、忍耐づよく組織内で活動を強めることを働きかけつつ、やむをえず結成される場合もある。新組合=少数組合結成によって団体交渉権を活用することが可能となることは事実だが、判断基準は広範な労働者の間にどれだけ影響力をひろげられる見通しがもてるかどうかが決定的となる。確かに石川島の例は、三菱長崎分会の例もあり、きわめてむずかしい判断がもとめられていたと思う(小川善作など「組織論研究にあたって」PDFhttp://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/140215sosikiron.pdfや長船の経過論文、鈴木博の石川島・浦賀研究なと2000年の神奈川県委員会の文書http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/120112yunionsyopu.htm#communistなど参照)。

いずれにしても大企業の職場の場合、複数組合主義で解決できるほど単純ではない。さまざまな実践の組み合わせが欠かせない。宮前氏だけでなく、河西氏の少数派労働運動論、戸塚章介(「ロストユニオン」)、木下武男氏(「格差社会にいどむユニオン」)、中村浩爾・寺間誠治氏など京都での組織論研究会(「労働組合の新たな地平」桜井善行論文)、浅見和彦氏など「『一企業一組合』の弊害」「複数組合主義」の主張は多い。中林賢二郎氏の「一企業一組合」論の提起にもとづく整理が必要。

●金子健太氏の組織論は、62~63年に日本共産党が指導的役割を果たして産業別の個人加盟の労働組合づくりを反映した見解。67年10月には、東京だけで1.5万人を大田体育館に集めた(全国30万人)ほど大衆的な広がりをつくった。しかし、10大会6中総では、「企業別組合の弱点」の指摘を基本にしながらも「企業別組合がもつ積極的役割」も指摘した。その点からも60年代の未組織労働者の産業別個人加盟の労組づくりのセクト的弱点を指摘した。つまり一部で産業別組合・個人加盟を重視する余り、既存の企業別組合との対立を引き起こした(印刷での小野寺・杉浦論争が典型)。あらためて階級的民主的労働組合を追求している既存の企業別組合の役割についても強調したものである。しかし、「セクト主義克服」という名で「一律解散、統合」という措置が一部でとられたことでその大衆的発展に水をさしたことは事実。非正規化が急速に進行している現在、産業別個人加盟の教訓を整理して労働組合を地域につくっていくことはますます重要になっている。

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❹第4章 戸木田嘉久氏の「企業別組合論」批判、中林賢二郎氏の戸木田批判・企業別組合論

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【宮前氏による戸木田企業別組合論の紹介】

▼戸木田氏の企業別組合生成論=戦前・戦後の非連続性史観にもとづく企業別組合生成論。大河内一男・小松隆二批判。「企業別組合は、戦後初期の階級闘争の所産=事業所単位に組織化されたこと、産業別組織確立への道追求がアメリカと日本独占資本の反動的な攻撃のなかで企業別組合に封じ込められた。産業別労働組合確立の道も階級闘争の過程をとおして切り開かれる」。

▼戸木田氏の企業別組合の消極的側面=「資本の労務管理が浸透しやすく企業意識がひろがりやすい、会社と結託した職制によって御用組合化されやすく官僚的・形式的運営におちいりがち、要求や闘争が企業内に限定されやすく、また企業主義・労資協調主義に陥りやすい」。企業別組合の積極的側面=「その事業所の多数を単一の労働組合に結集することが容易となる。生産点である職場で組合活動を行い、企業内の主要な労働条件について職場交渉をもふくめて団体交渉権を確立し経営者側に強力な圧力を発揮できる。職制労働者や技術者・管理労働者などを組合員に結集し、企業内部の「秘密の匣」を知り、それらを分析する「頭脳」をも擁することができ、経営の民主化も可能となる。フランスでは、企業内に多数の未組織労働者をかかえ、企業内で組合員が四ないし五の労働組合に分断されている。それとくらべると、すでに企業内で多数を占め、また階級的民主的立場を堅持して、統一戦線を指示する先進的な企業別組合も決して少ない数ではない。階級的・民主的潮流が主導権を握っている「企業別組合」についていえば、この組織的形態の積極的側面がむしろ生かされ、企業ないし事業所レベルの労働組合活動に限定すると、フランスの水準をぬきんでているという評価も不当ではないように私には思われる」。

▼「企業別組合の積極的側面と消極的側面とはいわば表裏の関係にあり、そこにおける階級的・民主的潮流の力量いかんが、ある場合には消極的側面を前面におしだし、またある場合には、その積極的側面を前面におしだすことになる。独占資本の管制高地である民間巨大企業の労働組合にあっては、階級的・民主的強化のためには、職場における文字通り地道なねばりづよい活動をさけてとおることはできない。またそのような地道なねばり強い活動は、全国的な階級的民主的潮流のたたかいと結合することによってこそ、巨大企業別組合における右翼的潮流の主導権をゆるがしはじめることができるだろう。そしてこうした職場における階級的民主的潮流の地道な活動の蓄積が「20年を1日に短縮した」ような緊迫した情勢もとで、全国的なたたかいの高揚とむすんで、巨大「企業別組合」の主導権をもしにぎるようなことになれば、大企業・財界の管制高地は、労働者階級の強大な城塞に転化しうることになる」。

【宮前氏の戸木田企業別組合論批判】

▼戸木田氏の企業別組合の生成論=戦前と戦後の断絶「非連続史観」、基本的に戦後に形成されたという誤り。戦前の継承=企業別組合は、1920年前後にアメリカから移入され、産業報国会をへて大戦後、法認後日米安保体制の一支柱となった会社組合。

▼「企業別組合の積極的側面と消極的側面、両者は表裏の関係にある」というトリック。大河内一男氏の論の活用。「階級的・民主的『企業別組合』に焦点を合わせた自らの『企業別組合』観の枠内・土俵に読者を連れ込み、組織論、組織形態論を視野・論点から外すというトリック」「企業別組合の弱点は基準にもとづく客観的評価、『積極面』『消極面』は主観的な評価」「企業別組合の積極的側面と消極的側面が表裏の関係にあるというが、あたかも表と裏が選択可能、達成可能のようにとらえている。階級的・民主的潮流の力量如何によるというが、それは一般的には成り立たない。数ある企業別組合のうち階級的・民主的潮流の主導下にある場合はごく一部にすぎない。積極的側面のみを見直しをしたからといって企業別組合=『一企業一組合』という枠組み・組織形態そのものを越える、あるいは脱却することはできず、むしろそれを維持し、長命化させることになる仕掛けとなる」。「情勢の急速な発展のなかで巨大『企業別組合』の主導権を握るとなれば大企業・財界の管制高地を握ることになる」という「管制高地」論も仮想・願望の域を出ていない。

▼戸木田氏の「一企業一組合」論は、世界労連の組織方針とは似て非なるもの。サイヤンの提起は「地方的・全国的レベルをふくむ職業別・産業別組合体系の一環、有機的統一においてとらえなければならない」とのべているように「企業・事業所レベルの単一組織だけをとりだして単一を論じるのは誤り」。

▼戸木田氏の「日本の企業別組合とフランスの従業員利益代表制諸機関+企業・事業所レベルの職業別・産業別労働者組合諸機関という二つの質的に異なるものの相違を無視し、両者を同質的に扱って、機械的に比較するという誤り」。職場から全国レベルに至る団体交渉をはじめとする労資関係、政労使関係の現実と実態から切り離し、なおかつ具体的な比較事例・例証を一つも示すこともしないまま「フランスの水準を抜きんでている」との一般的結論を下している。またフランスもドイツも2つの組織は法認されたもの。

▼中林賢二郎、下山房雄との論争における組織(形態)論の回避=戸木田氏はその批判に応えていない。

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【筆者コメント】

●日本共産党の10大会6中総=「わが国の労働組合が、主として、企業別組合という特殊な組織形態をとっていることと結びついた弱点を指摘する必要がある。この企業別組合は、一面では、その工場の労働者の多数を単一の労働組合に結集することを容易にする積極面をもっているが、その反面、それぞれの企業の内部での労資の交渉や闘争だけが、労働組合の活動の中心となりやすく、組合幹部と会社側のなれあいをうみだす要因ともなり、労働者と労働組合の産業別の連帯的、統一的な闘争や、真に強力な産業別の労働組合組織を発展させるうえで、重要な弱点と制約をもっている。また、多くのぱあい、労働者が従業員として企業に採用されれば、そのまま自動的に組合員となる組織であるため、労働組合としての教育活動や必要な援助がなく、職場組織も確立されていないばあいには、組合員としての自覚をもたないまま、いわば事実上の未組織に放置される結果となり、そのことは、独占資本や経営者による『企業主義』、あるいは労資協調の思想攻撃に十分たたかえない弱点となってあらわれている。さらに、組合員の範囲がその企業の正規の従業員にかぎられているぱあいが多く、同じ工場内ではたらいても、臨時工や社外工が組合から除外されていることも、重要な欠陥である」とのべているように、単純に「企業別組合は一面では、その工場の労働者の多数を単一の労働組合に結集することを容易にする積極面をもっている」という規定だけでよいのではないか。企業別組合は大きな弱点が存在するのだから、戸木田氏のように、「積極的側面」を精緻に展開していくと、どうしてもさまざまの一面性が出てくる。典型的にはフランスのCGTなどの労働組合運動との比較である。一応フランスの労働組合と企業レベルの従業員代表制、CGTの指導的役割などとくらべて、「日本の労働組合運動はフランスと比べて全体として一段階おくれた位置にある」と指摘はしている。しかし企業内でみると、従業員代表制は存在するが、企業内の労働組合は、68年以降つくられたばかりで、労働者の要求実現や未組織の組織化、経済民主主義の実現の取り組みなど、企業別組合ではあるが日本の階級的民主的組合と比べて立ちおくれが目立つ。ところが日本の階級的民主的潮流は、企業内では「数の多数」「一企業・一組合」の原則を達成し、さらに「企業の枠をこえた統一行動、統一闘争を組織し、独占資本の民主的規制でも公務・教員・国鉄・マスコミなどの実践か進んでいる」と展開する。そこに見られるように、フランスの運動の過小評価、日本の企業別組合、とくに階級的民主的労働組合の過大評価という一面性は否めない。

●宮前氏の見解と同じように中林賢二郎氏の戸木田批判と企業別組合論批判, 企業別組合の克服方向は、基本的に賛成。宮前氏と引用部分が異なるが、以下中林論文長いがそのまま引用する。

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資料・中林賢二郎=大月・日本の労働組合運動⑤「現代労働組合運動の組織論的課題」および「労働組合組織論」抜粋

(1)中林賢二郎氏の戸木田批判と企業別組合論

「資本主義的蓄積にともなう労働組合運動の法則的発展という場合に、労働者数の増大プラス貧困化による運動の発展の必然性というように図式化するのでなく、それに労働者組織化の具体的諸条件の発展という組織論的視点を加え、この条件のもとで資本と労働とのあいだにたたかわれる闘争をつうじて労働組合運動が発展するものととらえることは、既存の労働組合組織を階級的・民主的に強化するうえでも、重要な意味をもつ。……たとえば、巨大企業労組の問題をあつかった論文集『現代の労働組合運動』第七集でもいまのような観点が薄いために、つぎのような主張が展開されている。日本の企業別労働組合についてはさまざまな欠陥が指摘されているが、しかし、同時にもし、この企業別労働組合が真に階級的・民主的に強化されるならば、これは極めて強力な組織──労働組合と工場委員会を一つにしたような、そういう極めて戦闘的な、あるいは革命的な組織に転化しうるものとして考えていくべきであって、したがって、この企業別組織からわれわれは出発しなければならないというのである。この指摘自体に間違いないが、問題は現在そこにとどまっていいのかという点にある。

というのは、わが国の独占資本は、労働運動内の右翼的潮流を維持し、労働組合運動を階級協調主義の枠内にひきとめておくために、組合の企業別形態を利用することにますます努力を傾けているからである。……わが国の大企業が口をそろえて、資本と癒着しやすい企業別組合組織の資本側にとってのメリットを数えたて、これをくずさぬよう、生涯雇用、年功賃金、社内福祉制度などをできる限り維持しようとする志向を示しているのはそのためであろう。そうだとすると、われわれは組織論的な観点に立って、企業別労働組合組織のもつ特徴、欠陥、そうした組織形態がうみだす特有の傾向、弱点を徹底的に洗い出して、どうすればその弱点を克服していけるかを明らかにするとともに、その問題と労働組合を階級的・民主的に強化するための思想闘争の問題──もちろん、階級的・民主的強化というのは、思想闘争だけをいっているわけではないが、そのなかに含まれている思想闘争的な側面──とを統一的にとらえながら闘争をすすめていくという観点を、現在われわれはどうしても明らかにしなければならないものと思われるのである。

……(戸木田氏は)イタリアでは六〇年代末に工場別の工場評議会ができ、これが現在のイタリアの労働組合の戦闘化と組織統一をおしすすめている。だから日本でも、大企業の労働組合の組合員を戦闘化しさえすればよいのだ、というように論議がすべっていってしまっている。……たとえばこの工場評議会問題でも、イタリア労働総同盟やイタリア共産党はその点についてきわめて敏感であって、工場評議会が工場別につくられていくと、この工場評議会の地域ごとの連絡組織、連携組織をつくるように指導している。工場評議会をそのままひとつの工場のなかにとじこめておいてはならないという観点をたちまち打ち出している。……工場評議会が個々の工場評議会にとどまっている限り、そこでは同じ工場、同じ企業のなかで働いていることから労働者が企業別にだけ団結するという傾向がどうしてもでてくる。……それを防ぐためにはどうしたらいいかといえば、工場評議会を地域的な共闘組織にまとめていく。つまり、工場評議会を階級的・民主的に強化するための思想闘争にとりくむだけではなくて、企業意識を大衆的に弱め克服するために産業別団結の原理と企業の枠をこえた地域別団結とを組み合わせて、労働者が階級的に団結するための組織的な方法を実際に講じているのである。残念ながら先の論文集のなかでは、こうした、企業の枠をこえた労働者の団結を保障する組織上の措置の問題が無視され、一つひとつの工場での工場評議会における労働者の戦闘化という問題だけが強調される傾向にあるが、これでは理論的に間違ってくるのではないかと思われる。

日本では産業別組織といわれているものの大部分は、企業別につくられた組合が産業別に連合したものである。そのなかには、全国金属のように、地本の下に地域ブロックをもうけ、企業の枠をこえた地域別団結をおしすすめるような手段が講じられているものもないわけではない。しかし、それは補助的な組織にとどまっていて、現在わが国の労働組合の大部分の行動を実際に規定しているもっとも基本的な原理は、同一企業もしくは同一事業所で働くものが団結するという原理と、同じ産業だから団結(連合)するという原理であり、これら二つの原理が基本的な原理になっていて、しかも二つのうちで前者の原理が優先している。

ところがフランスやイタリアの産業別労働組合は、産業別団結と地域別団結の二つの組織原理を基礎にして、組織されている。「一エ場一組合、一産業一産業別組織、一国一中央組織」というのが、そのスローガンである。……それは一工場のなかに一つの企業別組織をつくるという意味ではなく、一工場の労働者を一つの産業別労働組合の地域組織に結集するという意味であった。わが国だと、一つの工場のなかに一つの企業別組合をつくったから一工場一組合の目標は自分たちのところでは実現しているというふうに思い込んでしまう。そして、こうした企業別組合を産業別に結集したのだから、一産業一産業別組織のスローガンも実現したのだなどと考えたりするならば、それは、とんでもない間違いである。……要するにフランスやイタリアの労働組合は、日本のように単位組合ができ、それが産業別に連合して産業別組織がつくられているのでなくて、同じ産業の労働者で、同じ地域に働いている者がひとつの単位組合に企業の枠をこえて結集し、それが県で連合をつくり、さらに全国的に連合していくというかたちで産業別の組織をつくるとともに、さまざまの産業の単位組合が同一地区で結集して地区労をつくり、地区労が集まって県連をつくり、県連と各種産業別全国組織が総結集して、総同盟全国中央組織をつくっているのである。このように下から上まで一貫して地域的な原理と産業別の原理という二つの原理を団結の原理としている。……総同盟の大会は、地域の経路と産業別の経路の二つを通じて代表が大会に送られるようになっており、しかもその両者が同数、同等の権利をもって大会に参加するのである」。

(2)中林賢二郎氏が提案した「企業別組合克服の課題」

「第一は、これまで企業別組合が、まったく放置してきた、2000万人以上におよぶ小零細企業労働者を、一般労働組合、職業別労働組合、産業別組合などに大量に組織化してゆくことである。

第二には、大企業に雇用される臨時雇労働者、社外工、パートタイマー、高技能をもつ移動型労働者等を、それぞれの条件に応じて、企業の枠をこえた一般労働組合、もしくは職業別組織に組織することである。

第三は、企業別組合の連合体としての既成単産ですすめる活動の問題である。一口に単産といっても、労働組合本来の任務を追求している統一労組懇傘下、もしくはこれと連携している組合から、純中立、そして全民労協傘下で資本に癒着して御用組合化しつつあるものまで、さまざまであるが、これらの組合内で一般的に追求されなければならない課題は、「産業別勢ぞろい」を真の「産業別組織」に移行させるための諸課題であろう。それは①空洞化した企業別組合の職場組織の再確立、②産業別組織内での企業の枠をこえた地域的交流にはじまって、産別内に自主的地域組織を確立するにいたるまでの、下からの組織づくり、③単産内での企業の枠をこえた、業種別・職種別団結──業種別・職種別部会のかたちをとる──の組織化、④地域ならびに全国のレベルでの産業別統一交渉と産業別協約締結の追求、⑤企業・産業の枠をこえた諸課題、とりわけ地域最低賃金の引上げと全国一律最低賃金制の要求、週四〇時間、完全週休二日制の時間短縮要求にもとづく、産業別闘争の展開である。

そのさい、活動家が心得ておかなければならない組織論上の問題点は、つぎの二つである。その一は、一般的に産業別組合運動がかかげ、第二次大戦後には世界労連がかかげた、「一エ場一組合、一産業一産業別組合、一国一ナショナル・センター」というスローガンであるが、このスローガンは、資本とたたかうためには、一事業所内に多数の組合が組合員をもつ職業別労働組合の組織形態をあらためて、産業別に統一し結集することをよびかけたものであって、一事業所内で御用組合とたもとをわかつ自由を否定したものと誤解してはならない。むしろ、西欧的常識からいえば、御用組合をはなれて、これとはべつに階級的団結をすすめることこそが、労働者に求められているのである。

その二は、第一次大戦後に西欧諸国でも日本でもみられた、階級協調派と階級的立場をとるものとのあいだの思想と運動方針の相違にもとづく組織分裂の反省に出発し、組合戦線の統一を追求する立場から、資本と組合の双方からどのように不当な攻撃をうけようとも組合内にとどまるべきではないのかといった危惧である。この問題について

企業の枠をこえて社会的に形成される労資協調主義的潮流指導下の横断組合と、会社に癒着した幹部が支配する企業内組合とは、まったく別のものであることを確認する必要がある。前者は、協調主義的行動をとるにもかかわらず、労働組合運動であることにちがいなく、これとの組織分裂は原則としておこなうべきではない。だが後者は御用組合であり、その時期、条件を戦術的に考慮する必要はあるが、組合運動をすすめるためにはそれからの離脱とあらたな組織への参加を考えることも必要になるであろう。

第三に、一と二の課題を追求するにさいして、組織された力として、また組織された部隊の中心として、企業のそとから活動家と個々の組合に方向をあたえ、援助の手をさしのべるなど、重要な役割をはたさなければならなのは、資本からも政党からも独立した、ありうべきナショナルセンターとローカルセンターであり、その傘下の産業別、職業別の全国組織であって、さしあたりは統一労組懇とその地域組織ならびに傘下諸組合がその役目を担ってゆかなければならないであろう」。

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❺第5章米欧主要国の団結権と労働組合(世界の常識と「企業別組合」)と第6章外国から見た日本の「労働組合」とその実体としての「企業別組合」

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(省略)検討中

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❻第7章「企業別組合」をめぐる21世紀の闘い(1)今日の「企業別組合」論

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【宮前氏の荒堀・小林批判】

(1)荒堀広「企業別労働組合を考える-戦後労働運動史から学ぶ」の検討

「組織形態としての企業別組合(体制)そのものを問題視することはせず、その『積極面』を強化し、『企業別組合の階級的成長』をはかりつつ『労働組合運動』を発展させる、それは可能だということ-本質的には第4章でみてきた戸木田嘉久および荒堀広旧説の企業別組合と同一を再確認すること。……『企業別組合が……するなら』と簡単にいうが、主要な企業別組合がそのように『していない』現状をどのようにすればできるのか、が提示されなければならない」

(2)もう1つの「日本型産業別組合」論-小林宏康の所論の検討

小林宏康氏の所論=2つの論文の概要(略)。

〇戦後日本での産業別組合組織づくりのさまざまな試み、単一組合をめざす運動の挫折。日本の労働運動の問題性をその組織形態にもとめる誤認

〇西欧の労働組合に関する一面的図式的理解

〇日本の労働運動を担うのは裸の企業別組合ではない

〇「日本型産業別組合」の可能性-その方向と課題

【宮前氏の小林氏への批判】

▼小林氏の結論部分としての「日本型産業別組合」は、常識的な「産業別労働組合」とは全く別種の、もう1つの組織形態。「日本の労働運動を担っているのは、企業・職場を基礎とし、産業を縦軸、地方・地域を横軸とし全国中央組織を頂点にもつ、各級組合組織からなる複合体」というが、この「複合体」には、縦断的組織形態と横断的組織形態という質的に異なるものを「複合」している。団結体として不適格な「企業別組合(日本型会社組合)」という「組織形態」を「複合」しているのだから、論理的にいっても、まともな「団結体の組織形態論」にはなりえない。「団体加入の連合体から個人加入の産業別組合への前進をめざす」という「前進」の発想も、合理的かつ具体的な道筋は示されていない。結局、西欧と世界の労働者・労働者組合運動の成果と教訓を無視・拒否するばかりか、日本での世界の常識に沿った「産業別労働組合」の確立をめざす労働者・労働者組合の無数の試行錯誤、闘争とそこからの教訓、および研究者たちの関連諸労作などを事実上無視するもの。

その上、小林氏は「企業別組合が有力あるいは支配的な国では産業別組合の定義は多様であってよい」という竹内真一の言葉に触発され「『企業別組合』を日本特有のものとし、欧米モデルに照らして功罪を論ずる議論はもう卒業すべき」という。小林氏の「卒業論法」とよぶ。ちなみに竹内真一氏の論の原典は「アメリカに見られるように産業別労働組合は国により別様でありうる」という意味で誤用している。

▼その他にも、「民間大企業の労組の『労使一体』体質」と企業別組合を切り離してとらえているが、労資協調主義は産業別労働組合など横断的組織形態の下でもありうるが、労使一体、とくに民間巨大企業労組の「労使一体」は、「企業別組合」という組織形態(横断的組織形態)の下でしか長期的・継続的には存続できない。

▼中林賢二郎氏は「組織形態転換不可欠論者」であり、小林氏のような「企業別組合の組織的弱点の克服」という考え方はとっていない。

▼階級的労働組合運動を自称する潮流のなかにあって一定の責任ある立場で発言してきた2人が-前者が「企業別組合の階級的成長」といい、後者が「企業別組合を基礎とする日本の産業別組合の可能性」というなど、表現の違いはあるものの、ともども、当面は企業別組合体制のなかに「蟄居」する路線を主張している。前田一や桜田武が聞いたら泣いて喜ぶだろう。

(3)「企業別組合の唯一性という迷妄」からの脱却=熊沢誠の「信仰」(略)

(4)「連合」運動内の組織化運動=二宮誠の「非正規労働者の乱」(略)

(5)浅見和彦の「論点」における「企業別組合」と「組織改革の二重の方向」(略)

(6)新しい企業別組合論=濱口桂一郎の自発的結社説(略)

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【筆者コメント】

●和田春生氏の企業別組合主義と産業別組合主義を「調整」する「共存的組織論」を宮前氏は紹介していたが、その後の総評左派も「調整」論(「組織綱領草案」など)を取っていた。さらに日本共産党の10大会6中総(「企業別組合は、一面では、その工場の労働者の多数を単一の労働組合に結集することを容易にする積極面をもっているが、その反面……重大な」弱点と制約をもっている」など)、その後の方針でも継承されている。これら「共存的組織論」にたいする宮前氏の「憤懣やるかたない」「いらだち」が、荒堀・小林両氏への批判に見られる。とくに小林氏への反論は、総論・各論ともに説得力がない。宮前氏の持論のおしつけに留まっている。

⚫︎筆者は、小林宏康氏の「産業別組合強化論」に基本的に賛成する立場である。この論点を産業別組合の教訓を整理しながらさらに豊かなものに発展させるべきだと思う。以下の3つの小林論文を参照のこと。

◆小林宏康=非正規・未組織労働者の組織化と産業別組合の強化―すべての労働者のための労働組合へ―

、労働総研クォータリ-No.76・77 PDF18p

クリックして140706misosiki.pdfにアクセス

非正規労働者問題、企業別組合の弱点とその克服の方向を、日本の現実をふまえた産業別組合の構築、「連合組織から単一組織への前進」の方向を、全国金属やJMIUなどの経験を踏まえながら探求。

◆小林宏康=全国金属ーJMIUの産別統一闘争の到達点ー「日本型産別労働組合の可能性」についてhttp://www.yuiyuidori.net/soken/discussion/pdf/140331_01.pdf

(他にも建交労・港湾・国公・医労連など最後の論文)

◆小林宏康=労働組合運動の再生強化と日本型産別労働組合の可能性(労働総研クォータリー)

クリックして160730nihongata.pdfにアクセス

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❼第8章「企業別組合」をめぐる21世紀の闘い(2)新たな対応の開始

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【宮前氏】

▼(357頁)「トロイの木馬」をめぐる闘いがますます重大な局面を迎えている。日本の労働組合運動だけの問題だけでなく、世界に「輸出」され、21世紀の世界の労働組合運動にとっての重大な脅威となっている(「輸出」の危険性の叙述は363~367頁のトヨタとシ-メンスの例が詳しい)。(376頁)また労働時間規制、全国一律最賃制の欠如、沖縄・日米安保・原発問題、安保法制・反動的立法のための国民的闘争の中心的役割を担う側面でも遅れや力不足。要求・課題を契機、「入り口」として、「労働組合とはなにか」「企業別組合とはなにか」をあらためて問い直し開かれた建設的な議論を。

▼(360頁)大多数の研究者・労働者がとっている「企業別組合の弱点の克服」という見解・対応策は、「企業別組合」を「団結体としての労働者組合」の一形態と(公然とまたは潜在的に)認めることを前提・基礎としている。こうした見解・対応策は、「企業別組合は換言すれば会社別組合であり、アメリカなどでは、それは“御用組合”といわれているので、日本の場合どうすればよいか。今さらこれを産業別に改組するといっても、不可能である。この組織をより闘争的なものとして展開する外ない、という受け止め方が主流となった」(1998隅谷三喜男)

とされる1950年以降様々な形くり返されてきており、本質的には和田春生らのいう「共存的組織論」に属するもので、実践的にも、論理的にも矛盾を内包した、不合理な主張であって目的達成への合理的な展望を開けない。

労働者組合の組織形態は、経済的土台、あるいは、労働市場の構造や機能の影響を受けることは事実であるが、それによって直接的に規定・規制される関係にはない。経済的土台の上での労働者(階級)と資本家(階級)の相互関係・階級間関係、したがって、政治的関係の領域における事象である。そして、労働者組合の組織形態の選択とそれを規制する労使関係法制の制定は階級闘争の重要な一部分である。「クラフト・ユニオンの伝統の欠如が企業別組合体制の持続の要因」という見解は、一面的。「産業別組合(化)運動」は大戦前には存在したもので、それが戦後に企業別組合が形成されたという経過を説明できない。戦後に企業別組合がユニオンショップと一体のものとして労働組合として法認され定着したことが決定的な要因となったのである。

企業別「労働組合」のなかにも「階級的・民主的・戦闘的」組合が存在しうるし、存在してきたとする説、それを企業別組合の積極的側面とする説をとなえる人びとがいる。しかし、企業別組合(体制)全体として見れば「階級的・民主的・戦闘的」組合の存在-とくに大企業における存在-は一部あるいは一時期にすぎず、そうした組合もそれぞれ、当該企業(資本)に対する従属性を完全に払拭することはできない。また、そのような存在を長期に維持し、かつ、労働者組合運動全体における支配的な組織形態とすることは不合理でもあり、「積極的側面」を社会的に一般化することはできない。たとえ一時的に民主化されても企業別組合である限り、資本の側からの反撃による転覆にさらされてしまう。

▼日本の「労働組合」運動では、これまで「企業別組合」克服をめざして、法外労組、合同労組、一般労組の取り組み、「未組織労働者」特に、非正規労働者の組織化をめざす地域労組、「ユニオン運動」などあらゆる試みを実践してきた。ルイ・サイアンなど世界の労組幹部の警告を生かせなかった。引間博愛氏の「企業組合に堕することなく単一組合の組織の充実強化をはかり、それと併行してしての支部の自主性の確立」の提起。小林雅之氏の産別・個人加盟労組、「一企業一労組」のドグマにとらわれず「一企業・複数労組」の重要性の指摘。

要宏輝氏の「企業別労働組合主義から決別し真の産業別労働組合を」、「大企業別組合が単産を、そして大単産が連合を牛耳る連合の変革」という提起。

国分武氏の「地域・ローカルユニオンの主戦場化」論と産別強化論=地方・地域組織がLUを特定の単産に所属しない直轄組織(「旗本直参の部隊」)として建設すること、全労連にLU「単産」のようなものをつくれないかという構想。全労連の単産の組織拡大・強化の取り組みが産別独自路線に見え、拡大強化の手法も総評以来の、産別・個別企業ごとの新結成であり、ナショナルセンター強化や地域密着といった観点が今ひとつ乏しい。全労連強化を軸に抜本的な産別強化の手だてを講じない限り、特に民間産別の衰退が重大な事態になりかねない。

▼宮前氏が「まとめ」としてのべた日本における企業別組合体制の克服方向は以下の通り。

①企業別組合をめぐる取り組み(主として大企業の企業別組合の内部・関係部署での取り組み)、②(主として個人加盟の)諸形態の「企業別組合」でない労働者組合(合同労組、一般労組、地域労組、専門職労組など)と、新規に組織化する分野・領域(従来、「未組織労働者」とよばれた、現時点で組織をもたない「無組織労働者」の組織化運動)の両者を、その区別と連関・統一においてしっかりと位置づける戦略・戦術が必要。

「共存的組織論」におちいってはならない。当初から個人加盟の職業別・産業別組合を前提条件として既存組織再編と新規組織化に取り組むこと。その場合、いずれの職業別・産業別組合も全国規模・レベルとなるので、適切な全国的センターの設置が必須となる。また同センターが必要とされる権限で機能(組織力、財政力など)をもつことも要請される。また企業別組合とその支配的体制の法的根拠となっている現行労働組合法とその関連法制の根本的改定が必要となる。

日本国憲法、とくに第28条団結権の規定は、すべての国民に団結権を保証しており、「労働組合法」はいかなる組織形態も排除しておらず、すべての組織形態を容認している。この28条のすぐれた規定を活用し具体化する闘いの重要。こうした日本国憲法と戦後民主主義を活かし発展させるたたかいこそ、「団結体としての労働者組合」を獲得することを確実にする。

最後に「団結体としての労働者組合」を確立するための活動家の育成が不可欠。また企業別組合の「輸出」という事態に対応していくために、国際連帯を果たしていくことがもとめられる。

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【筆者の企業別組合克服方向コメント】

●これがこれまで長文にわたって述べてきた宮前氏の企業別組合問題の実践的解決の道かと思うと正直いって失望の限りだ。抽象的すぎる提起だ。賛同はしないが、木下武男氏の「既存の企業別組合の内部改革と個人加盟産業別労組などの運動の外部構築という二元論での対応」論の方がわかりやすい。宮前氏が「労働者組合への転換」という原則の貫徹、「共存的組織論に陥ってはならない」と改良論も否定する論立てをした限り、実践的解決方向は、上記のようなものにならざるをえないのでは。ただ1つ「企業別組合とその支配的体制の法的根拠となっている現行労働組合法とその関連法制の根本的改定」という宮前氏の提起は、諸外国が「労働者組合」を法認して会社組合を排除している教訓をふまえたもので、新たな視点と思う。

●小林宏康氏の以下の指摘が重要。宮前氏の企業別組合論は、「西欧と日本との対比で日本の特殊性を論じ、労働組合組織の形態や構造の違いが過度に強調され、利害を異にする使用者(資本)と労働者・労働組合との対立・抗争という両者に共通する労使関係・労働運動の実体が見落とされる一面性」が見られる。「西欧でも企業・職場に何らかの労働側交渉組織(労働組合の企業支部、従業員代表制度など)をもっている。この組織はそこに働くすべての労働者の意識を反映せざるを得ず、使用者側の働きかけなど……(日本とは程度は違っても)企業主義は絶えず再生産される。西欧でも企業主義の克服は日常不断のたたかいを必要とする課題」「日本の企業別組合の多くは、その弱点を克服するために産業別組織や地方自治・地域組織に加入し、全国中央組織とつながっている。企業別組合にも企業横断的団結への意思は内在する。日本の労働運動を担っているのは、企業・職場を基礎とし、産業を縦軸、地方・地域を横軸とし全国中央組織を頂点にもつ、各級組合組織からなる複合体である。これや各級組合組織中、労組法上労働三権を行使できるのは、企業別組合と産業別組合組織の多くである」という小林宏康氏の指摘は、現状認識としては正しい。こういう現状から出発して改革への道を探求することが欠かせない。

●戦後日本の労働組合運動の歴史のなかの企業別組合克服のさまざまの経験と教訓を整理することがあらためて重要になっている。兵頭敦史氏の「日本の労働組合運動における組織化活動の史的展開-敗戦から高度成長期まで」(大原社研「労働組合の組織拡大戦略」)は、その1つの成果。さらに、総評「組織綱領草案」、海員組合・港湾・土建労組での産別統一闘争、60年代産業別個人加盟労組づくり、80年代の地域労組、建交労やJMIUTの産別組織化、全労連のローカルユニオン運動、自治労連と公務公共一般、映演労連(ユニオン、統一労働協約など)、医労連・全印総連・自交総連その他全労連民間単産の「産業政策」、連合のコミニュティユニオン、私鉄の非正規の組織化、私鉄連帯する会、電機懇と電機ユニオンなど大企業のなかの活動などなど。宮前氏、田端博邦氏、松村文人氏、斉藤氏、大重氏、岡田氏はじめ多くの研究者の業績をふまえながら欧米の産業別・職業別組合と労働者代表制の研究、とくに68年以来のフランスの企業内組合の研究が欠かせない。

【これまで企業別組合克服論で指摘されてきた活性化、企業別組合克服の方向】

中林賢二郎氏の「企業別組合克服論」のくりかえしになるが、以下の諸点の探求が求められているのではないか。10回大会6中総の「職場を基礎にした活動」「組合民主主義の確立」「産業別統一闘争の強化」「未組織労働者の組織化」「労働者教育の強化」などの諸項目は、一部は古くなっているが示唆される点も多い。

●単産、産業別組織の改革方向。小林宏康氏の「日本的産業別組合」の提起。春闘再構築こそ産業別組織強化の上できわめて大きな役割果たす。春闘再構築のなかで、とくに産業別統一要求・産業別統一交渉・統一闘争など企業をこえた賃金など要求闘争、最賃闘争の前進など。業種別組織の位置づけ。

●未組織の組織化活動。全労連の組織をあげた取り組み、財政と人の強化が不可欠。

●国分氏が強調している地方・地域組織の前進、活性化こそ企業別組合克服の上できわめて大きな役割を果たす。単産地方組織と地方・地域組織との有機的結合。そのなかでローカルユニオンの前進をどうはかるか。

●職場を基礎にした活動の強化。組合民主主義の確立。執行委員会と分会の確立、職場組織の確立、職場団交権、職場闘争の活性化。青年・女性の結集、管理労働者の結集など。

●次世代育成のための労働者教育の強化。活動家集団の育成。

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◆◆筆者作成資料=企業別組合はどのようにつくられたのか=労働省「資料・労働運動史」その他から作成した労働協約をめぐる49~50年攻防年表

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1947.1=ロイヤル米陸軍長官が日本を反共の防壁とすると声明

1948.2=2・1スト中止命令

1948.2=産別民主化同盟結成

1948.3=国鉄に職階制導入。これ以降民間企業にアメリカの職務給に日本的修正を施した職階給導入開始=年功制の修正、とくに職制を企業が確保し職場支配の柱にすえる

1948.4=日経連発足。「経営者よ正しく強かれ」政策=「経営権確保に関する意見書48.5」「改訂労働協約の根本方針48.5」(経営協議会を労働条件に関するものに限定し団体交渉の前段的協議機関へ。経営者が経営権をもつこと明確化)「労働法規改正に関する意見書48.8」

1948.7=マッカーサー書簡・政令201号(スト権剥奪・団交権も=官公の協約の無効化)

1948.12=アメリカ「経済九原則」政府に提示。GHQが労働組合法改正を政府に指示。労働省はGHQの指示にもとづき「民主的労働組合及び民主的労働関係の助長について」労働事務次官通牒(=「労働運動の根底をなすものは単位組合である」「自主的且つ民主的な単位労働組合の確立」。団交についての手続き・組合員の範囲の厳格化・使用者の経営権・就業時間中の組合活動・争議の平和的解決の規定・新協約成立までは旧協約有効という規定の廃止、などを組合規約・協約で是正すべき項目指示)

1949.1=「組合規約並びに労働協約に対する個別指導実施について」次官通牒(労使への指導助言。労働省はGHQ労働課とともに規約と労働協約について指導。全日化学・鉄鋼連盟・炭労などはGHQ労働課が直接の指導。1~3月で組合1.1万=組合員数257万人の個別指導=反発は産別会議の電産・金属・県労会議など500組合のみ)

1949.2=「労働組合の資格審査基準について」次官通牒数回(使用者の利益代表者の範囲と使用者の労組への経費援助の程度を厳格にする基準)。労組法改正労働省試案。

【企業側の協約改訂提案】=49.2日本油脂(日産化学)にGHQ直接指導による200条の協約改訂案(最初のアメリカ型協約案。使用者側のモデルとなる。1949.10折衷案として調印)。つづいて1949.2東芝が180条の協約改訂案(絶対的平和条項ふくむ。労連は拒否裁判闘争)。3~4月に電産・三井鉱山・保土ヶ谷化学・旭化成・富士紡などに。労組のほとんど拒否・裁判闘争に。これらの協約改訂案の多くは企業整備、人員整理と関係していた。

1949.3=米ドッジ指示による企業整備・大量人員整理。

1949.4=団体等規正令。日経連「企業合理化に関する見解」(係長・職長級までは経営補助者=職場秩序)。

1949.5=行政機関定員法成立

1949.6=改正労働組合法公布(とくに15条2項=協約の有効期間を3年以内、期限が到来したとき以降当事者のいずれか一方の意思に反して存続させえないこと=協約の自動延長(自動更新規定)を阻止する規定。また団交について労働組合の「暴力の行使」を正当な行為でないと規定。労働委員会で不当労働行為を犯罪として加罰することをやめ原状回復主義に改め後退。使用者の利益を代表するものの参加を許している組合は労組として認めない=非組合員の範囲拡大。使用者の経費援助を受ける組合は労組として認めない=専従者の賃金支払い拒否。49年末の「改正労組法履行状況」では「利益代表者を排除した組合」「経理上の援助を排除した組合」は2万をこえ、全組合の91%、94%におよぶ)。以後アメリカ型協約導入をめぐる攻防が本格的に開始される。1949.6の川崎重工業で成立した協約(改正労組法にもとづく最初の協約として労使間で宣伝。200条にわたる。)

【使用者団体の「労働協約基準案】=日本鉄鋼連盟(49.3)、日本紡績協会(49.4)はじめ私鉄・通信工業・電気事業など。1949.9=日経連「労組法完全実施に関する決議」(新労働組合法にもとづき協約改訂取り組み)。

【労組側の「労働協約基準案】=総同盟(49.4)また産別会議(49.12)、鉄鋼労連など単産も対抗措置。

とくに焦点となったのは経営協議会の変質=日経連49.6「労働関係調整に関する指針」(経営協議会を協約改訂によって廃止すべき=生産委員会や苦情処理機関に)→労働省も49.7「労働組合の組織と運営にかんする協力と勧告の実施について」という通牒(従来の経営協議会は経営参加・団体交渉・苦情処理の3つの機能をもつ→これを生産委員会・団体交渉・苦情処理の3つの機関に分けること=「三分化」)。

こうして49~50年にかけて、企業側から協約改訂交渉→無協約状態つくられ(協約締結率最高の49年6月末から50年5月末までに、協約は組合数で56%→37%、組合員数で87%→45%に激減。人員整理提案の同時進行もあり、労組側の反対により協約改訂は停滞)=しかし「労働者の採用、解雇には組合の同意を要する」という同意約款が破棄されたことで大量の人員整理強行→労働省は50年5月以降通牒を数回出して労働協約締結運動→民同右派の協力をえながら50年半ば以降協約締結組合増加。経営協議会廃止組合増加。こうして権利宣言型協約からアメリカ型協約へ移行。

52年以降、労働法規改悪反対の政治的ストライキの前進を背景に、アメリカ型協約を打破する統一労働協約闘争(炭労・全自動車・全造船・合化労連など単産ごとの「協約基準案」作成)が展開され一定の改善がされる労組もひろがったが、日経連も53年に「労働協約基準案」を対置して対抗。それ以来アメリカ型協約や両者の中間型の協約として今日まで継続されている。

◆◆協約をめぐる闘争の結果としてのアメリカ型協約の確立→企業別組合の確立=資料・労働省「資料・労働運動史昭和24年」の「改正労組法にもとづく労働協約」の特徴(全文836P)

「これらの協約は改正労組法に基づく新労働協約として使用者側より大いに喧伝され、改訂交渉の範とされる傾向があった。これらはすべて百ケ条を超える長文の労働協約であり、労働条件が具体化されると同時に所謂債務的部分と称せられる組合活動・団体交渉・苦情処理・争議協定等についても著しく詳細な定めを持つものであった。これら協約内容の傾向を簡単に述べると次の如くである。

①経営権確認条項の挿入=単に経営権が使用者に属する事を確認するだけでなく、経営権の具体的内容を列挙している場合が少なくなかった。これは使用者の年来の要望の実現である。

②非組合員の範囲=改正労組法の第二条第一号の定めに応じて具体化されているがその範囲は可成り、広範囲に亘り、試用期間中の者、短期間を定めて雇傭される所謂臨時工・日傭労働者・嘱託等も非組合員とすることを明記していた。

③ショップ制=はっきりとオープン・ショップをとるものは殆んどみられないが、所謂尻抜けユニオンをとるものが殆んどであった。「会社の従業員は組合員でなければならぬ」と定めながらも、被除名者或いは脱退者の処置については、最後的には会社が決定しうることになっていたのである。又このショップ制と表裏して「組合員は従業員でなければならぬ」とする組合員資格限定規定が必ず入っている。

④人事条項=人事権の確認規定が入る。人事の基準特に休職・解雇・懲戒・褒賞の基準が具体的に列挙されることになった事が従来の協約との著しい相違であるが、懲戒基準の中には組合活動との関連に於て問題を生ずるおそれがあると考えられる事項を含んでいる場合もあった。個別的人事の実施については使用者の決定に委ねるものが多く、同意約款は始んど姿を消した。

⑤労働条件=これまで就業規則に定められていた労働条件に関する規定が協約中に定められる事になり、詳細且つ具体的となった。しかしその中で賃金については賃金体系・賃金の原則、支払方法等については具体的に定めながらも賃金の具体的額を定めているものは比較的少なかった。

⑥組合活動=組合活動は就業時間外の原則をうたい、就業時間中に認められる組合活動の種類を列挙する。組合事務専従者についてはその取扱いを具体的に定めているが、その選任について会社の了解を必要としているものもみられた。特に注目すべき事は、政治活動の禁止規定を定めているものもあった事、掲示内容の制限、掲示、印刷物の配布等について規制を加える傾向が一般化していた事である。

⑦団体交渉、平和条項、争議協定、団体交渉の手続(交渉委員の数、場所、時間、議題の事前通告等)=詳細化しており、平和条項として争議行為の絶対的禁止を定めたものはないが、団体交渉より争議行為に至る迄に踏むべき手続が定められ、労働委員会の斡旋、調停を経た後でなければ争議行為を行わないとするのが普通である。争議協定としては先ず可成り広範囲の争議不参加者の規定と政治争議、同情争議、生産管理、座り込みストライキ等を禁止する規定を持つもののあった事が注意を惹く。

⑧苦情処理機関=概ね苦情処理手続を採用している。苦情としては労働協約の解釈、適用に関し組合又は組合員と会社との間に生ずる紛議を中心とし、その他労働協約に定めなき労働条件に関する組合員の不平、不満を含ましめている場合もあった。苦情処理手続をみると、組合員が職場委員を通じて会社側に申し出て、会社側の者が判定を下すという立前をとるものが多く、その最終的解決は労働委員会その他の第三者の仲裁に求めるものも少なくなかった。

⑨経営協議会=従来の如き形の経営協議会を存置しているものはなく、経営協議会三分化の線に沿って、団体交渉、苦情処理に関する手続を定めると同時に、生産委員会、経営諮問委員会、運営協議会等の名称を持つ機関で生産、経営に関する事項を諮問乃至説明するという程度に止めておくものが多くなっている。なお経理の非公開、会社役員の人事に対する不関与を定めている事例もわずかながら見られた。

総括的に言えば、全体として経営権が使用者に属するとの原則に貫かれ、使用者の意図がかなり大幅に取りいれられた労働協約であったとみることができる」。

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投稿者:

Daisuki Kempou

憲法や労働者のたたかいを動画などで紹介するブログです 日本国憲法第97条には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と書かれています。この思想にもとづき、労働者のたたかいの歴史、憲法などを追っかけていきます。ちなみに憲法の「努力」は英語でストラグルstruggle「たたかい」です。 TVドラマ「ダンダリン・労働基準監督」(のなかで段田凛が「会社がイヤなら我慢するか会社を辞めるか2つの選択肢しかないとおっしゃる方もいます。でも本当は3つ目の選択肢があるんです。言うべきことを言い、自分たちの会社を自分たちの手で良いものに変えていくという選択肢です」とのべています。人にとって「たたかうこと」=「仲間と一緒に行動すること」はどういうことなのか紹介動画とあわせて考えていきたいと思います。 私は、映画やテレビのドラマやドキュメントなど映像がもっている力の大きさを痛感している者の一人です。インターネットで提供されてい良質の動画をぜひ整理して紹介したいと考えてこのブログをはじめました。文書や資料は、動画の解説、付属として置いているものです。  カットのマンガと違い、余命わずかなじいさんです。安倍政権の憲法を変えるたくらみが止まるまではとても死にきれません。 憲法とたたかいのblogの総目次は上記のリンクをクリックして下さい

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