新福祉国家論批判メモ

◆◆論文と資料・新福祉国家論批判メモ

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◆新福祉国家論批判メモ(12.08作成)

◆資料・不破=「『ルールある経済社会』と福祉国家論の違い」(「月刊学習」13年9月号)など

◆資料・長澤高明=「総選挙分析と新福祉国家論」(「唯物論と現代」No.49)PDF

◆資料・長澤=「新福祉国家論の検討」(「唯物論と現代」No.51)PDF

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【筆者コメント】 

2012年7月に開催された全労連第26回定期大会の方針に、全労連創立以来初めて「新福祉国家」構想が掲げられた。さまざまな問題点があると思われる。直後の12年8月にこのメモを作成した。本来実名で批判すべき性格のものだが、このブログ全体が著作権その他諸般の事情でペンネームで作成しているので、ご容赦願いたい。なお全労連第27回大会ではこの「新福祉国家」構想は、保留措置となった。ぜひみなさんのご意見をお願いしたい。

(1)福祉国家論についての経過

❶福祉国家論のはじまり

第一次大戦を契機に1929年に始まった世界大恐慌以降形成され、第二次大戦以降恒常化された国家独占資本主義=国家の力を経済過程に介入させ、資本主義がおちいった危機をのりこえ、独占の支配を固める体制。これを修正資本主義の立場から、生産関係の変革なしに資本主義の矛盾を解決できると積極的に資本主義を擁護する理論として福祉国家論が生まれた。端緒的には、ピグーの「厚生経済学」(1920。所得増による貧困の克服)。本格的にはケインズ(29年恐慌以降の財政による需要創出政策。雇用(失業回避)と社会保障による需要拡大、ビルトイン・スタビライザー機能ふくむ。「雇用、利子および貨幣の一般理論」1936)。1930年代に端緒。その後の反ファッショのたたかいを反映した戦後の英のべヴァリッジプラン(1942)にもとづく社会保障制度確立が契機、「福祉国家」(welfare state)用語はそれ以降。英の具体化以後戦後は、英国の社会保障の経験をふまえたクロスランド(「福祉国家の将来」1961)、ストレーチ(「帝国主義の終焉」1959)、北欧の社会保障の経験をふまえたミュルダール(「福祉国家を超えて」1960)など。福祉国家とは、これまでの利潤本位、貧困不可避の資本主義国家ではなく、「社会保障・雇用などの拡充を通じて国民生活の安定をはかる国家」への変貌としてとらえるのが特徴。しかし戦前段階では、社会保障・雇用拡充は、あくまでも資本主義国家の政治・経済体制の危機回避のための独占の譲歩策、幻想。

❷戦後の労働者・国民のたたかいの成果

ヨーロッパでは英の具体化以降、各国の社会民主主義政党など労働者的政党や労働組合などのたたかいの成果として、社会権の確立や社会保障や雇用の拡充、累進課税の制度化など、所得再分配がヨーロッパを中心にひろがる。北欧は税による社会サービス提供という独自的発展。欧州労連やEUレベル(「社会的市場経済」や欧州基本憲章=EU規制)でさらにひろげられる。こうしてヨーロッパでは、独占の譲歩策の域をこえて、所得再分配制度が資本主義制度に組み入れられ、独占を民主的に規制し、資本主義の枠内での民主的改革といえるものに変化をとげてきた(逆に、資本の側からみると内需を中心に成長をはかる資本主義の新しいタイプ=「ルールある資本主義」に)。

❸新自由主義による雇用・社会保障への攻撃と「福祉国家」論

ハイエク、フリードマンなど1970年代から今日まで「ケインズ主義の破綻」を口実に、新自由主義的攻撃。1981OECD報告「福祉国家の危機」。ヨーロッパでも規制緩和や移民労働者の急増、財政危機、保守政党政権化で諸権利部分的に剥奪、全体として雇用・社会保障制度を守りきっている。

この所得再分配を組み入れたヨーロッパ型の国家・社会の分析=学界では、アンデルセン(デンマーク「福祉資本主義」90)の「福祉国家レジーム」(自由主義=米。保守主義=独仏。社会民主主義=英と北欧)にもとづき、宮本太郎氏などがヨーロッパ型を「福祉国家」とよび、北欧型・英型・大陸型(仏独)などの類型分析に走っているが、本質的な分析が欠けている。このヨーロッパ型の国家・社会の本質について科学的社会主義の立場に立った分析がますます必要になってきている。

❹『社会科学総合辞典』(新日本出版社)の「福祉国家論」の検討

「国家が社会保障や完全雇用政策などをつうじて経済・政治過程に介入し、社会福祉の増大をはかることによって、資本主義の民主的変革、さらには社会主義的変革をすることなしに、資本主義の矛盾と階級対立をとりのぞいて、資本主義のもとで平等で豊かな社会が実現できるという幻想をあたえる議論。主として厚生経済学の理論にもとづいている」

=戦前段階では、基本的に正しいが今日では、ヨーロッパ型を組み入れた定義が必要。科学的社会主義の立場に立った福祉国家の概念は、未確立。

❺資本主義のもとでの労働者・国民のたたかいによる資本主義の変化=不破『激動の世界-日中理論会談の報告』の整理

「(①1840年代の英の10時間労働法→②ロシア革命とILOの設立→③1930年代の人民戦線運動→④大戦後の国際連合の成立)マルクスが150年前に意義づけた『社会の強制』で資本の横暴を規制するルールづくりが、新しい段階を迎えつつあるといってもよいでしょう。

こういうなかで、ヨーロッパがいま、資本主義世界のなかでも特別にすすんだ地位を占めつつあります。それは、戦後長い時間をかけて形成されてきた『共同体』組織=現在のEU(欧州共同体)が、一般的な経済活動だけでなく、労働者や国民の権利をまもる『社会的ルール』づくりの面でも、重要な役割を担い、ヨーロッパ規模でルールを共通化する取り組みに積極的に取り組んでいることです。EUのその活動は、労働関係の問題でも、女性差別撤廃の問題でも、広域にわたる『社会的ルール』づくりという点で、資本主義の世界のなかで一つの新しい状態をつくっていると言えるでしょう。

……日本ではいま、こうしてできた『ルールなき資本主義』の矛盾が、社会の各分野で噴き出しています。とくに現在の経済危機のなかで、多くの人びとがその状態の異常さを自覚するようになっています。私たちは、『ルールなき資本主義』の現状を打開し、日本社会を『ルールある経済社会』に転換させることを、当面の社会的変革―民主主義革命のプログラムの柱にしています。

……もちろん、『ルールある経済社会』への前進といっても、それは資本主義社会の枠内での変化ですから、資本の搾取もその横暴なやり方も、制限を受けるだけであって、なくなりはしません。資本主義世界を経済危機が襲えば、ヨーロッパがその危機から免れるということではありません。金融危機が起これば、被害を受けますし、経済恐慌が始まれば、失業者も出ます。しかし、そういう危機のなかで、人民の生活をまもる『社会的ルール』ができているかどうか、どれだけ発達しているかは、危機の時期にも、社会にとってたいへん重要な意味をもちます。その意味で、『ルールある経済社会』への発展は、これは資本主義の枠内での発展であっても、社会進歩の方向にそった発展という性格をもつものです」(93~105頁)。

「西ヨーロッパで、とくに70年代以後に、『ルールある経済社会』を形成する過程がすすんできた、という条件です。多くの国で、『ルールある経済社会』づくりの担い手となったのは、社会民主主義の政党でした。共産党は、これをつくる原動力である労働者・人民の闘争では大きな役割を果たしたはずですが、その闘争を背景に、その成果を『社会のルール』化する仕事は主に社会民主主義の政党がにない、共産党の方は、受け身の立場にとどまったようです」。(134頁)

❻その他ヨーロッパ型についての分析

相沢幸悦「EUの社会的市場経済の現状」(前衛・0801)。友寄英隆「EUの社会的市場経済とはなにか」(経済・0804)。友寄英隆「アメリカ型競争社会と欧州型福祉社会」(前衛・0811)。友寄氏の分析=反ファッショのたたかいから戦後、資本主義の改良「ケインズ主義」「福祉国家」という流れが生まれたこと。アメリカも欧州も資本主義社会、競争社会であること。労働者・国民のたたかいとそれにともなう国家の政策で「福祉社会」が生まれたこと、資本家の力が横暴になり国民の運動がそれを抑えきれないと「競争社会」になること。日本の資本主義をいまよりももっと民主的な「ルールある経済社会」に改革することが、社会主義的変革につながること。「市民社会」と「社会的市場経済」と「社会主義」の三者の関連をあきらかにすることが研究課題。

(2)全労連が提起した福祉国家論の検討

「この大会から2年間は『構造改革』との決別を迫る労働者・国民と『構造改革』の継続を主張する財界などとの激しいたたかいの時期となる。したがって本大会では、そのたたかいを攻勢的に展開するために、雇用の安定と社会保障拡充による『福祉国家』の確立をめざす運動の意思統一を深める。その運動は、日本の政治、経済、社会の全般にわたって日本国憲法が生きる社会をめざすとした全労連綱領の具体化の方向でもある。08年7月の第23回大会では、全労連20年を振り返り、『全労連の存在と役割が輝きをます情勢』と強調した。これまでの2年間のたたかいと現時点の情勢は、全労連の存在と役割に確信を深めあい、『労働組合の社会的役割』発揮の立場で奮闘が必要なことを明らかにした。その立場でのたたかいが全労連の組織的前進の力となる」(第25回大会方針)。

他に議長あいさつ。全印総連と埼労連の発言。事務局長の「総括答弁」。

▼「社会保障や雇用など国民生活の拡充をはかる国家、社会」という形で「福祉社会」や「」つきの「福祉国家」は、マスコミなどでも一般用語として使用されている。しかし、科学的社会主義の立場からの福祉国家の概念がまだ確定されていない。ヨーロッパ型の資本主義国家を「福祉国家」、福祉国家とよぶとすれば、科学的社会主義の国家論=支配階級による階級支配の機関とのかかわりで、どう整理すればよいのか未確定。今日の段階では、「福祉社会」や「」つきの「福祉国家」=ヨーロッパも資本主義社会、資本主義国家であり、その資本主義国家が「ルールある経済社会」政策を組み入れ、資本主義の枠内での民主的改革を推進しているという表現がベター。個人的にいえば、資本主義国家の形態(支配形態)に共和制・君主制などがあり、民主共和制が「最良の国家形態」とよんでいるように、ファッショ国家、新自由主義推進の保守国家、「福祉国家」(=「最良の国家タイプ」)など国家タイプとして整理できるのではないか。少し社会学的か?

▼資本からの独立、政党からの独立、一致する要求で共同行動など、綱領でのべている労働組合の大衆組織としての組織原則からみて、労働組合が、「新自由主義と対抗していくために」「福祉国家」をかかげて、その実現を戦略的目標にすることは、政党とも協力しながらきわめて慎重に行われなくてはならない。どうして「ルールある経済社会の実現を重点戦略に」や「雇用や社会保障の拡充を重点戦略に」や「ヨーロッパなみの雇用・社会保障の実現を重点戦略に」ではいけないのか。これで十分新自由主義と対抗できる。「福祉国家」とはなにか、「福祉国家」実現の道筋など国家論・国家変革の道筋を明らかにしなければ説得力がなく、多くの労働者・国民を結集できない。政党との協力共同も欠かせない。今日全国革新懇の重要な構成員でもある。労働組合として綱領にもかかげている「国民本位の政治・経済、非核・非同盟・中立・民主の実現する統一戦線をめざす」との関連はどうなるのか。「もう一つの日本」を掲げて中止をした経過もある。サンジカリズム的とはいわないが、そういう弱点が生まれかねない。

▼しかも「福祉国家」目標では、日本にとってきわめて重要な、安保条約廃棄、独立という目標が薄れてくる。全労連綱領にかかげている「非核・非同盟・中立・民主」が一体どうなるのかということにもなる。

(3)「講座・日本」第4巻「日本社会の対抗と構想」(97.3大月書店)の新福祉国家論の検討

渡辺治「帝国主義的改革と対抗の戦略」・木下武男「日本型新福祉国家戦略と社会労働運動」・二宮厚美「現代日本の企業社会と福祉国家の対抗」・後藤道夫「新福祉国家論序説」の4論文。四氏の新福祉国家論は、その後も継続使用され、「新自由主義か新福祉国家主義か」(渡辺・二宮・後藤共著。09.12労働旬報社)でも展開されている。新福祉国家論の具体的展開は、後藤論文。後藤氏以外の3人は、後藤論文に依拠。第2巻「現代帝国主義と新国際秩序」の後藤論文「帝国主義と大衆社会統合」「現代帝国主義の段階と構造」の2論文もベースにすえられている。以下後藤氏の「新福祉国家論序説」論文の検討をしたい。

❶後藤氏の「新福祉国家論序説」のあらまし

(1)戦後の70年代末までの現代帝国主義の第一段階の福祉国家=戦前の列強帝国主義の段階=対外膨張とともに国内的には、増大する労働者階級の圧力を帝国主義臣民としての受益感覚を増大させるかたちで吸収・馴化する大衆社会統合が形成発展。その一環として30年代に福祉国家が誕生。戦後の現代帝国主義の第一段階=アメリカの世界戦略の帝国主義同盟の一環として、社会民主主義勢力との階級妥協のかたちとして、新しい形で本格的に西欧の福祉国家化が進む。上層労働者の優位と中下層の劣位ふくむ。日本の福祉国家化は部分的、形だけ=企業社会的統合(70年代後半以降)が西欧の福祉国家機能を代行し全体として開発主義国家の道へ進んだ。

(2)80年代から今日までの現代帝国主義の第二段階の福祉国家=多国籍企業が支配的な段階となり、グローバル化の進展、財政危機(財政膨張と企業負担減)で大衆社会統合が停滞・再収縮し、再編成を余儀なくされ新保守主義のイデオロギー(新自由主義のこと)が支配的となり、本格的な帝国主義国家体制の構築が進む。こうして西欧で福祉国家の危機。日本も同じ。

(3)こうした攻撃に対抗していくための新福祉国家戦略=支配層が投げ捨てた「改良」、バランスのとれた経済発展を今度は左派が担い手となる。旧来の福祉国家の社会保障、雇用、労組の諸権利、累進的所得税、大きな公的セクターや強力な社会的国家的規制、ケインズ的政策は継承する。新福祉国家は、現代帝国主義同盟を内部から制約する。世界市場と多国籍企業の規制。それは南の諸国にたいする帝国主義的支配の強化のブレーキとなる。財政的な理由から「大砲」を削減し構造的平和を構築する。さらに福祉国家のバージョンアップをめざす=北欧やドイツなどの女性の均等待遇、経済のエコロジー的革新、産業レベルの民主主義の拡大。日本の新福祉国家の独自的課題=本格的帝国主義化の阻止=「大砲」を削減・廃止し「バター」を。また公的社会保障の拡充。女性差別撤廃。大きな公教育。農業保護と環境・消費運動。新福祉国家の担い手は、労働者の場合、大企業の少数派労働運動、公共部門労組、「周辺」の労組、女性の労働運動。中小零細業者、農村部住民、高齢者。

◆◆後藤氏の新福祉国家論の批判点

▼最大の問題は、「福祉」が「大衆社会統合体制」「階級妥協の制度」としてだけでとらえられ「たたかいの産物」という視点が弱い=たとえば日本共産党の綱領などで提起されている統一戦線の力で「ルールある経済社会」をめざす、資本主義の民主的改革路線とは、根本的に異なる。

▼特異な帝国主義論とその段階区分の視点=帝国主義はあくまでも他民族抑圧の政治概念。戦前までは帝国主義。戦後は根本的に変化=植民地体制の崩壊と国連、平和勢力の成長=侵略と抑圧行動の制約=「現代帝国主義」概念は古い=人民のたたかいで福祉拡充ある程度可能な時代に。さらに新自由主義との対抗で80年代以降の区分はいかにも便宜的。 

▼特異な「大衆社会統合論」、「企業社会論」(この分析はとくに渡辺治氏に依拠)=帝国主義時代に、資本主義の延命策として労働者の上層部分を買収して「大衆社会統合」策がとられたこと、戦後日本でも「企業社会統合」がとられたことは事実。しかし、「統合」と労働者の抗議・抵抗のつばぜりあいの視点が欠かせない(だから「福祉国家」がたたかいの成果という視点がない)。

▼西欧の「福祉国家」への評価が弱い。「支配層の階級妥協」で生まれた「社会保障など国民生活の拡充をはかる国家」程度のもの。しかも最後まで階級妥協が貫かれていると規定、戦後のヨーロッパの福祉水準や労働規制水準、それをもたらした労働者・国民のたたかいの成果、評価がない。新自由主義の攻撃とのたたかいでヨーロッパにみられるように、旧来の福祉国家は崩壊したのではなく基本的に継続されている。その継承発展こそが重要。

▼日本の「福祉国家」への評価はもっとない。=憲法25条やたたかいによる戦後の成果指摘なし。日本の福祉水準・労働規制水準は米と欧州の中間程度だが、一定のレベルをもつ。 

▼「新福祉国家」実現のためのへの権力問題の指摘なし。福祉社会ではなく、福祉国家という場合、科学的社会主義の国家論とのかかわりで概念規定や権力移行論が必要。経済的規定だけでは不十分。西欧で到達しつつある「ルールある経済社会」への転換=民主主義革命のプログラムの柱→国家権力の掌握→未来社会への通過点。「大砲からバターへ」の指摘はあるが、日本社会変革に重要な対米従属の打破、日本国憲法の活用などの指摘なし。「担い手」には多数者革命の視点なし。

なお、「新福祉国家論」の批判については「新自由主義批判の再構築-企業社会・開発主義・福祉国家」(赤堀正成・岩佐卓也編。法律文化社)、長澤高明「新福祉国家論の検討」No.49「総選挙分析と新福祉国家論」No.51(ともに関西唯研機関誌「唯物論と現代」)、不破哲三「党綱領の力点=ルールある経済社会と福祉国家論の違い」(「月刊学習」13年9月号)などを参照のこと。

◆◆資料・不破=「ルールある経済社会」ー「福祉国家」論とは大もとが違う

「月刊学習」13年9月号

連載講座=共産党綱領の力点

④民主的改革の内容のいくつかの問題

綱領は、第四章一ニ節で、「現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである」として「国の独立・安全保障・外交の分野」「憲法と民主主義の分野」「経済的民主主義の分野」の三つの分野にわけて、変革の内容を項目的に説明しています。そのなかで、若干説明を要するいくつかの項目をとりあげたいと思います。

◆「ルールある経済社会」ー「福祉国家」論とは大もとが違う

(1)一つは、第三の「経済的民主主義の分野で」の第一項の問題です。ここには、「『ルールなき資本主義』 の現状を打破し (中略)、 国民の生活と権利を守る『ルールある経済社会』をつくる」という要求が書かれています。

実は、先日、労働者教育の運動にかかわっている方々の集まりがあったときに、この問題で、綱領でいう「ルールある経済社会」と「福祉国家」論とはどこが違うのかという質問がありました。 一部に誤解もあるようなので、ここでも説明しておきます。

「福祉国家」論というのは、もともとブルジョア経済学の中から生まれた言葉で、戦後、社会民主主義政党の国際会議で、右派的潮流の綱領的目標として採択され(一九六二年の「オスロ宣言」)、日本でも民社党※が唱えていました。要するに、資本主義社会のなかで、一定の社会福祉的な政策をかち取ることを社会運動の最終目標にしてしまうことで、そこでは、資本主義を乗り越えて前進することなど、問題にならないのです。

※民社党 一九六◯年、 社会党内の右派が

分裂してつくった政党。最初は民主社会党として発足したが、六九年に民社党と改称。一九九四年、新進党の結党にともない解散しました。

党綱領がめざしている「ルールある経済社会」というのは、その根本が違つています。

先ほど「ルール」という問題を、マルクスの「工場法」論を出発点にして詳しく説明しましたが、これは、労働者階級と勤労国民が資本の利潤第一主義の横暴にたいする自己防衛のためにかちとるものであって、その「ルール」が実現したからといって利潤第一主義や資本の搾取がなくなるわけでもないし、いま全世界で噴出している資本主義の矛盾ゃ危機が解消するわけでもありません。日本で民主主義革命が成功し、「ルールなき資本主義」という異常な状態が克服されることは、前途を展望する広い歴史的視野で見るならば、資本主義社会を乗り越えて未来社会ー社会主義・共産主義の社会に前進する途上での、意義ある

通過点と いう位置を占めるものとなるでしょう。 ここに「ルールなき資本主義」の克服をめざす党綱領の立場と、資本主義のもとでの社会福祉の充実を運動の終着点とする「福祉国家」論との根本的な違いがあります。

さら に、 「福祉国家」 論的な発想 で今日の日本の社会運動をとらえると、いま克服すベき日本社会のもう一つの大問題である「異常な国家的な対米従属」の打破という問題が、否応なしに視野の外におかれるようになる、ということも、指摘しておきたいと思います。

◆◆不破=「ルールある経済社会」の確立と「新福祉国家」を社会運動の基本目標とすることは違う

(「理論活動教室」第3回「政策活動について」㊦の要約から抜粋。15.02.21赤旗)

経済の分野では「『ルールある経済社会の確立』を“新福祉国家”と読み替えて、社会運動の基本目標にしようとする意見もあるが、私たちはそういう立場はとらない」と述べました。それは、安保や憲法の問題などを日本の民主運動の基本目標から外すことにもなるし、社会的な分野にかぎっても、「ルールある経済社会」の「ルール」に青写真的な固定した目標はないからです。

「ルールある経済社会」をつくる上で、「大企業に対する民主的規制」は重要な手段です。日本にはすでに国家が経済に介入する多くの手段が存在しています。現状では、これらは、大企業を援助する方向で活用されていますが、これを労働者や国民の利益を守る方向で活用すれば、民主的規制のための手段にかえることができます。その上で不破さんは、社会変革の現段階における大企業に対する基本的態度について、党綱領の関係の条項を紹介しながら、「大企業への規制は、日本経済の健全な発展に資してほしいというもの」だと強調しました。

◆◆長澤高明「総選挙分析と新福祉国家論」(「唯物論と現代」NO.49)

長澤2

https://docs.google.com/folderview?id=0B6sgfDBCamz5YUtlRWs4TE1OSE0&usp=docslist_api

(スマホの場合=画像クリック→最初のページのみ→上部の下向き矢印マークをクリック→全ページ表示。以下同じ)

◆◆長澤高明「新福祉国家論の検討」

(「唯物論と現代」NO.51)

長澤1

https://docs.google.com/folderview?id=0B6sgfDBCamz5YXllOFNid2U1RkE&usp=docslist_api

◆◆兵頭淳史「新自由主義に対抗する福祉国家の条件」

(赤堀・岩佐「新自由主義批判の再構築」より)

https://docs.google.com/folderview?id=0B6sgfDBCamz5OXIzVDY3VnN0Tms&usp=docslist_api

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投稿者:

Daisuki Kempou

憲法や労働者のたたかいを動画などで紹介するブログです 日本国憲法第97条には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と書かれています。この思想にもとづき、労働者のたたかいの歴史、憲法などを追っかけていきます。ちなみに憲法の「努力」は英語でストラグルstruggle「たたかい」です。 TVドラマ「ダンダリン・労働基準監督」(のなかで段田凛が「会社がイヤなら我慢するか会社を辞めるか2つの選択肢しかないとおっしゃる方もいます。でも本当は3つ目の選択肢があるんです。言うべきことを言い、自分たちの会社を自分たちの手で良いものに変えていくという選択肢です」とのべています。人にとって「たたかうこと」=「仲間と一緒に行動すること」はどういうことなのか紹介動画とあわせて考えていきたいと思います。 私は、映画やテレビのドラマやドキュメントなど映像がもっている力の大きさを痛感している者の一人です。インターネットで提供されてい良質の動画をぜひ整理して紹介したいと考えてこのブログをはじめました。文書や資料は、動画の解説、付属として置いているものです。  カットのマンガと違い、余命わずかなじいさんです。安倍政権の憲法を変えるたくらみが止まるまではとても死にきれません。 憲法とたたかいのblogの総目次は上記のリンクをクリックして下さい

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