マザー・テレサ 平和に捧げた生涯
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★★映画=マザー・テレサ120m
字幕・日本語
2005年8月
映画の解説・ムービーウォーカー
インドを舞台に、人々に無償の愛を注いだマザー・テレサの波乱の生涯を描く伝記ドラマ。「ロミオとジュリエット」の名女優オリビア・ハッセーが、マザーを力強く熱演。
◆ストーリー
1946年、インドのカルカッタ。カトリックの女子校で教鞭をとっていたマザー・テレサ(オリビア・ハッセー)は、イスラム教徒とヒンズー教徒の抗争に巻き込まれて負傷した者を校内に入れて手当したことから、修道院長(ラウラ・モランテ)と対立。ダージリンへの転任命令を受ける。その途上で行き倒れになった男と出会い、「私は渇く」と言う彼の言葉の中に、神の声を見出す。命令に背いてカルカッタに舞い戻った彼女は、「私の居場所は修道院の中ではありません。最も貧しい人々のところです」と言って、修道会に院外活動の許可を求める。得られた回答は、「院外活動をしたいなら一市民に戻れ」というものだったが、マザー・テレサの熱意を汲んだエクセム神父(ミハエル・メンドル)の口添えによって、決定はバチカンの手にゆだねられることになった。「これが神の望みであれば、必ず実現する」。そう信じるマザー・テレサは、バトナで医療と薬学の実地訓練を受けながら、バチカンからの返事をじっと待ち続けた。やがてバチカンから送られてきたのは、院外活動の許可を伝える手紙だった。晴れて町へ出ることを許されたマザー・テレサは、新しい修道服である白い木綿のサリーに身を包み、貧困にあえぐ人々が住むストリートでの活動を開始した。子供たちに配る食糧を手に入れるため、市場で物乞い同然のことをするマザー・テレサの姿に、眉をひそめる修道院長。しかし、いっぽうには、彼女の活動を応援する者たちもいた。ヴァージニア(イングリッド・ルビア)をはじめとするかつての教え子たちだ。彼女たちボランティアの手を借りながら、マザー・テレサは、病人や孤児の世話をするための施設をこつこつと作り上げていく。
4年後。修道会に属しながらの活動に限界を感じたマザー・テレサは、新しい教団“神の愛の宣教者会”を作りたいとエクセム神父に申し出る。それに応じてバチカンからやって来たのが、セラーノ神父(セバスティアーノ・ソンマ)だった。カルカッタに到着した彼は、さっそくマザー・テレサに会おうとするが、当の彼女の前には、すぐに解決しなければならない難問が山積みの状態だった。寺院を改装して開設した“死を待つ者の家”に対する地元住民の猛抗議。孤児院の違法性を主張し、閉鎖を求める役所の命令。そのひとつひとつに、誠意と情熱で立ち向かっていくマザー・テレサ。しかし、それを知らないセラーノ神父は、なかなか自分に会おうとしない彼女を尊大な人間だと思いこみ、バチカンに否定的な報告を送ろうとする。が、実際、彼の前に現れたマザー・テレサは、尊大さのかけらもない人物だった。「私は、神が手に持つペンにすぎないのです」と語るマザー・テレサの無私無欲な姿勢に、深い感銘を受けるセラーノ神父。彼は自らもその地にとどまり、マザー・テレサのかたわらで同じ道を歩もうと決意する。1965年。教団の活動がますます活発になっていくなかで、マザー・テレサはハンセン病患者のための“平和の村”を建設する計画に着手する。これに対しては、「マザーのせいで、カルカッタに不幸と貧困のレッテルが貼られてしまった」と、インド国内から多くの批判の声があがったが、それが大々的に報じられたことにより、世界各国から多くの寄付金が寄せられるようになった。「神が望めば資金は集まる。神が望まなければあきらめる」と、いつものように粘り強く、精力的に、資金の調達と計画の推進に走り回るマザー・テレサ。書類の不備によって建設計画が頓挫しかけたとき、彼女はバチカンに乗り込み、教皇に直談判することもした。その努力が実り、村の建設はようやく再開にこぎ着けたものの、完成までの道のりには予想外の困難がつきまとうのだった。
★★その時歴史が動いた=マザー・テレサ 平和に捧げた生涯
★★ドキュメント映画=マザー・テレサ54m
https://m.youtube.com/watch?v=KLx6mXiZKDk
★マザー・テレサの言葉 (英語、日本語字幕)4m
★心のともしび「マザー・テレサにきく」
12m
★マザー・テレサ 来日映像29m
http://m.youtube.com/watch?v=xkvrslHKUWg
★★マザー・テレサの活動(全50m)
(1)http://m.youtube.com/watch?v=AHO-UXFomRo
(2)http://m.youtube.com/watch?v=lzBR890Dh60
(3)https://m.youtube.com/watch?v=d1fVau5FDI8
★マザー・テレサの名言6m
★マザー・テレサの名言 3m
http://m.youtube.com/watch?v=DMMpr8VYHJk
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◆◆マザー・テレサの生涯
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小学館(百科)
沖 守弘
Mother Teresa
[1910-1997]
修道女。旧ユーゴスラビア(現マケドニア)のスコピエ出身。幼名はアグネス・ゴンジャ・ボヤージュ。1928年アイルランドのロレット修道会に入り、志願してインドに渡る。1929~1948年カルカッタ(現コルカタ)のセントメリー高等学校の教師、校長を務める。1946年神の召命を受け「貧しい人のなかでもいちばん貧しい人たちのために一生を捧(ささ)げる」ことを決意する。1948年インド国籍を取得、ロレット修道会を離れ、ひとりでカルカッタの貧民街で活動を始める。1950年「神の愛の宣教者会」女子修道会を創立、以来「マザー・テレサ」とよばれる。「死を待つ人の家」「孤児の家」「救癩(らい)活動」の施設をインド各地に展開、1979年ノーベル平和賞を受賞する。インドのみならず世界各地に施設を広げ活躍した。1981年(昭和56)初来日。1997年9月5日心臓発作のため死去、13日カルカッタ市内で国葬、遺体は修道会本部に埋葬された。2003年福者(聖人の次位者の称号)に列せられた。
◆◆マザー・テレサ「聖人」に バチカンで列聖式、信者10万人
2016年9月5日朝日新聞
バチカンのサンピエトロ広場で4日、列聖式を前にマザー・テレサの写真を掲げる修道女=AP
インドのコルカタ(カルカッタ)で貧しい人たちを救済する活動に尽くした修道女マザー・テレサ(1910~97)が4日、ローマ・カトリック教会で最高位の崇敬対象である「聖人」に正式に認定された。
バチカンのサンピエトロ広場で行われた列聖式には、約10万人の信者らが集まった。フランシスコ法王は「慈しみは彼女の仕事を味付けする『塩』であり、貧しさと苦しみのあまり流す涙もない多くの人々の暗闇を照らす『光』だった」と述べ、弱い立場にある人たちに寄り添った偉業をたたえた。
マザー・テレサは、危篤状態だったブラジル人男性のために妻がマザー・テレサに祈った結果、回復したことなど死後に2度の「奇跡」を起こしたと認められ、聖人と認定された。
現在のマケドニアのスコピエ生まれ。「神の愛の宣教者会」を設立して、インドで奉仕活動をした。功績をたたえられ、79年にノーベル平和賞を受賞した。
(ローマ=山尾有紀恵)
◆「みんなの母」インドで祝福
インド東部コルカタでは4日、マザー・テレサの活動の本拠で、自宅でもあった「マザーハウス」前で人々が列聖を祝った。
そのうちの一人、目が不自由なハリハル・サフさん(53)は、別の慈善団体の寄宿舎に暮らしていた約40年前、初めてマザー・テレサに会った。「いつでもいらっしゃい」と福祉作業所の仕事を紹介してくれた。
「マザーはみんなのお母さん。改めて、素晴らしさを分かち合える日が来た喜びは言葉にできない」
スニタ・クマールさん(74)は30年にわたり、ボランティアとしてマザー・テレサのもとで働いた。1967年、彼女の修道会が主宰する病人の薬袋を作る活動に加わったとき、初めて会った。「握手した時に感じた力強さと手の温かさは、今も忘れない」
スニタさんは様々な活動に加わるようになったが、当初はホスピス「死を待つ人の家」での活動をためらった。怖かったのだ。「怖くない。患者さんたちに幸せを与えなさい。患者さんを見たら、ほほえみなさい。必ずほほえみ返してくれる」と助言をくれた。その通りになり、恐れは消えた。
マザー・テレサを巡ってインドでは、モディ政権の支持基盤のヒンドゥー至上主義団体・民族義勇団(RSS)の幹部が「目的はヒンドゥー教徒のカトリックへの改宗だった」と発言するなど、議論がある。
だが、スニタさんは「私はシーク教徒だが、マザーが私に改宗を求めたことはない。『それぞれの方法で神に祈りましょう』と言うだけ。宗教の枠なんて超えていた」と振り返る。
ノーベル賞を受け、著名人となっても「変わらず毎朝4時半に起き、貧しい人々のために働き続けた。名声は、マザーが変わったのではなく、周りが彼女への理解を変えた結果です」。
全国紙ステーツマンのラビンドラ・クマール編集局長によると、マザー・テレサが注目を集めた70年代は、バングラデシュが独立した71年の第3次印パ戦争の直後。コルカタには難民が押し寄せ、ホームレスであふれた。「マザーの功績は、世界の人々がその活動を通じ、貧しい人々の苦しみを考えるようになったことだ」と話した。
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◆◆マザー・テレサ愛のことば
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◆「人にやさしくすると、
人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。」
◆「正直で誠実であれば、
人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。」
◆「歳月を費やして作り上げたものが、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。それでも作り続けなさい。」
◆「心を穏やかにし幸福を見つけると、
妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。」
◆「今日善い行いをしても、
次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。」
◆「持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。」
◆「あなたは、あなたであればいい。」
◆「この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。」
◆「平和は微笑みから始まります。」
◆「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。」
◆「私たちは、大きいことはできません。
小さなことを大きな愛をもって行うだけです。」
◆「導いてくれる人を待っていてはいけません。あなたが人々を導いていくのです。」
◆「人間のほほえみ、
人間のふれあいを忘れた人がいます。
これはとても大きな貧困です。」
◆「いかにいい仕事をしたかよりも
どれだけ心を込めたかです。」
◆「あなたに出会った人がみな、
最高の気分になれるように、
親切と慈しみを込めて人に接しなさい。
あなたの愛が
表情や眼差し、微笑み、言葉に
あらわれるようにするのです。」
◆「一切れのパンではなく、
多くの人は愛に、
小さなほほえみに
飢えているのです。」
◆「愛されることより
愛することを。
理解されることよりは
理解することを。」
◆「所有すればするほど、
とらわれてしまうのです。
より少なく所有すれば、
より自由でいられます。」
◆「喜びとは、
魂を捕まえられる
愛の網なのです。」
◆「私たちは、成功するために
ここにいるのではありません。
誠実であるために
ここにいるのです。」
◆「短くて口に出しやすい言葉でも、
心のこもった言葉はある。
そんな言葉はいつまでも心の中に
輝き続ける。」
◆「大切なのは、
どれだけ多くをほどこしたかではなく、
それをするのに、
どれだけ多くの愛をこめたかです。
大切なのは、
どれだけ多くを与えたかではなく、
それを与えることに、
どれだけ愛をこめたかです。」
◆「富める人のほうが
貧しいと思うときがあります。
富める人のほうが
内心孤独であることが多いのです。」
◆「もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを
愛していないからではなく、
あなたが、そして私が
与えなかったからです。」
◆「日本人はインドのことよりも、
日本のなかで貧しい人々への配慮を
優先して考えるべきです。
愛はまず手近なところから始まります。」
◆「今、この瞬間幸せでいましょう。
それで十分です。
その瞬間、瞬間が、
私たちの求めているものすべてであって、
他には何もいらないのです。」
◆「暗いと不平を言うよりも、
あなたが進んで
明かりをつけなさい。」
◆「飽くことなく与え続けてください。
残り物ではいけません。
痛みを感じるまでに、
自分が傷つく程に
与え尽くしてください。」
◆「説教してきかせても、
それは人とふれあう場にはなりません。
ほうきをもってだれかの家を
きれいにしてあげてごらんなさい、
そのほうがもっと雄弁なのですから。」
◆「笑ってあげなさい。
笑いたくなくても笑うのよ。
笑顔が人間に必要なの。」
◆「昨日は去りました。
明日はまだ来ていません。
わたしたちにはただ、
今日があるのみ。
さあ、始めましょう。」
◆「愛とは、
大きな愛情をもって
小さなことをすることです。」
◆「誰かに微笑みかけること、
それは愛の表現であり、
その人へのすばらしい
贈り物となるのです。」
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