プロレタリア詩人槙村浩(槇村浩)=間島パルチザンの歌など

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【このページの目次】

◆槙村浩リンク集

Wiki=槙村浩

◆槙村浩と3・1独立万歳運動(赤旗)

◆反戦詩人・槙村浩の足跡(高知市)(朝日新聞)

◆槙村浩=間島パルチザンの歌 

◆槙村浩=生ける銃架

◆槙村浩=出征

◆槙村浩=明日はメーデー

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🔵槙村浩リンク集

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★★槙村浩=間島パルチザンの歌 9m

◆8010槙村浩=間島パルチザンの歌.pdf 

墓碑

★槙村浩「間島パルチザンのうた」、朗読 MGリリカ・オリジナル11m

◆青空文庫・槙村浩著作一覧

http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1585.html

◆槙村浩「間島パルチザンのうた」(赤旗)

◆戸田郁子=槙村浩「間島パルチザンの歌」(14.12.26赤旗)

◆反戦詩人 槇村浩の町

(赤旗18.05.31

◆槙村浩研究「ダッタン海峡」No.10紹介(14.12.01赤旗)

◆ブログ=槙村浩

http://lengjiaqianchucihou.blog.fc2.com/blog-category-6.html

◆近代デジタルライブラリー =日本プロレタリア作家同盟編=日本プロレタリア詩集. 1932年版

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1138174/113?tocOpened=1

◆李修京=平和を希求し,武力に抵抗した文学青年考察 : 尹東柱,小林多喜二,鶴彬,槙村浩を中心にPDF18p

クリックして18804314-61-08.pdfにアクセス

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🔵槙村浩の生涯(Wiki)

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槇村 浩(まきむら こう、191261 – 193893日)、は、高知県高知市生まれのプロレタリア詩人。本名:吉田 豊道(よしだ とよみち)

来歴

1931年、日本プロレタリア作家同盟高知支部を作り、その後、「槇村 浩(まきむら こう)」のペンネームで作家活動をした。反戦運動・労働運動にも参加し、反戦詩『間島パルチザンの歌』は代表作とされている。槇村の作品は朝鮮人民との連帯、植民地解放を訴え、日本兵士に中国軍兵士と共同して日本軍への反乱を呼びかけるなど、当時のプロレタリア文学においても例のない国際連帯の視点に貫かれていた。これらの活動のため政府の弾圧を受け、拷問と投獄により身体を壊し、1938年に病気で死去。享年26。(まきむらひろし)と紹介している文献が一部にあるが、生前の槇村本人と面識のあった人物は一様に(こう)と呼んでおり、(こう)が正しい。

1912 – 61日、高知市廿代町で生まれる。3歳のときに医学書をすらすら読むという神童ぶりを発揮。

その生涯

1920高知市立第六小学校に転入。

1922 – 4年生の時、『支那論』を書き、高知を訪問した久邇宮邦彦に「アレキサンダー大王」について進講した。

1923私立土佐中学校2学年飛び級で本科1年に入学。

1928高知県立海南中学校に転校。

1929軍事教練の学科試験に白紙答案をだす軍事教練反対運動を組織。

1930岡山市の私立関西中学校へ転校。

1931関西中学校を卒業して高知に帰郷。10月、日本プロレタリア作家同盟高知支部を結成する。12月、貴司山治などによる戦旗防衛講演会を高知座で開催。また、このころ日本共産青年同盟に加盟。

1932 – 2月、創刊の『大衆の友』で、『生ける銃架』を発表する。共青高知地区委員会のメンバーが高知市朝倉の歩兵44連隊兵舎内に侵入して上海出兵に反対する「兵士よ敵をまちがえるな」と書いた反戦ビラを配布するが、そのビラを槇村が執筆した。3月、代表作『間島パルチザンの歌』を発表。4月ごろ日本共産党に入党。

421日、自宅のあった高知市ひろめ屋敷(現・帯屋町2丁目)で検挙され高岡署に連行され拷問を受ける。未決1年、非転向のため3年の刑となる。

1935 – 6月、高知刑務所を出獄する。

1936 – 2月、『日本ソビエト詩集』の発刊を計画する。125日、「人民戦線事件」で検挙され、留置される。このころ、すでに監獄病といわれる拘禁性鬱症・食道狭窄症にかかっていた。

1937 – 116日、重病のため釈放、高知市新本町の土佐脳病院に入院する。

1938 – 93日、同病院で死去。満26歳。

◆◆槙村浩と3・1独立万歳運動とは?

200485()「しんぶん赤旗」

 〈問い〉 戦前、槙村浩という詩人が朝鮮の独立運動に連帯した詩を書いたと聞きました。どんな人だったのですか?

 (岡山・一読者)

 〈答え〉 槙村浩(本名・吉田豊道、1912~38)は高知県生まれで、英才教育で知られた土佐中学、リベラルな校風をもった岡山市の関西中学などに学び、31年、19歳で日本プロレタリア作家同盟高知支部の結成に参加、おもに高知県で活動しました。

 文学活動とともに日本共産青年同盟に加盟、高知市にあった歩兵44連隊で反戦ビラをまくなどの活動をしながら、「生ける銃架」(31年)、「出征」「間島(かんとう)パルチザンの歌」(32年)など、国際連帯のかおり高い、今日でも高く評価されている反戦詩を次々に発表します。しかし、逮捕され、獄中で病気となり26歳で精神病院で死去しました。

 当時、日本は、朝鮮、台湾などの植民地にたいし、過酷な搾取と抑圧をおこなうとともに、人民の抵抗にたいしては残虐な血の弾圧を加えていました。たとえば、朝鮮人民が、1919年3月1日から「独立万歳」をさけんで朝鮮全土で独立運動をおこしたとき、天皇制の軍隊は、容赦なく銃火をあびせ、8千人近い人を殺し、多くの人びとを投獄しました。

 日本共産党は22年、党創立と同時に「シベリアからの撤兵、朝鮮人民の独立闘争支持」の旗を掲げ、各地で勇敢にたたかいました。30年ごろから、青年学生の反戦運動も急速にもりあがり、共産青年同盟は先頭にたちました。今野大力、今村恒夫、槙村浩などの詩人もそのなかにありました。槙村は32年4月ころ、日本共産党に入党。同年3月1日の「満州国建国宣言」に抗議し「間島パルチザンの歌」を詠んだのです。その一節―

 おお3月1日! 民族の血潮が胸をうつおれたちのどのひとりが 無限の憎悪を一瞬にたたきつけたおれたちのどのひとりが 1919年3月1日を忘れようぞ! その日 「大韓独立万才!」の声は全土をゆるがし 踏み躙(にじ)られた日章旗に代えて 母国の旗は家々の戸ごとに翻った(喜)

◆◆反戦詩人・槙村浩の足跡(高知市)

20120522日朝日新聞

 北の多喜二、南の槙村浩(こう)――。小説「蟹工船」の小林多喜二と並び称されるプロレタリア文学作家が、戦前の高知にいた。3年2カ月の獄中生活をへてもなお反戦の信念を貫き、精神と肉体を患って26歳で逝った。長い間、故郷高知にさえ忘れられた存在だった。6月1日の生誕100年を前に、その足跡をたどった。

   --- --- --- --- 

 高梁(かう・りゃう)の畠(はたけ)を分(わ)けて銃架(じう・か)の影(かげ)はけふも続(つづ)いて行(ゆ)く

 銃架(じう・か)よ、お前(まへ)はおれの心臓(しん・ざう)に異様(い・やう)な戦慄(せん・りつ)を与(あた)へる――血(ち)のやうな夕日(ゆふ・ひ)を浴(あ)びてお前(まへ)が黙々(もく・もく)と進(すす)むとき

 お前(まへ)の影(かげ)は人間(にん・げん)の形(かたち)を失(うしな)ひ、お前(まへ)の姿(すがた)は背嚢(はい・のう)に隠(かく)れ

 お前(まへ)は思想(し・さう)を持(も)たぬたゞ一箇(こ)の生(い)ける銃架(じう・か)だ

(「生ける銃架」から)

   --- --- --- --- 

 兵士を、銃を立てかけておく「銃架」にたとえたこの詩は、満州事変翌月の31年10月に作られた。槙村が通った高知市立第六小学校の隣にあり、戦時中の資料を展示する「平和資料館・草の家」(升形)館長の岡村正弘さん(75)は「戦争は人間を魂のない存在にしてしまうというのがこの詩の意味だと思う。槙村は鋭い感性で市民にとって戦争とはなにかという本質を見抜き、告発した」と話す。

 同館では、槙村の写真や詩集など約40点も並べる。高知の平和運動の旗手だった初代館長の西森茂夫さん(2004年没)の「遺言」だった。西森さんは亡くなる前、病床で岡村さんの手を握り、こう繰り返した。「槙村浩をやってくれ。人に知られちゃせんきに」

 草の家の学芸員、藤原(ふじ・はら)義一(よし・かず)さん(65)は、大学1年のときに槙村の詩集に出あい、「詩で戦争に反対した人がいた」ということに驚いた。そして、「槙村みたいに生きなければと思い、人生が変わった」という。在学中はベトナム反戦運動に参加。5年前の退職を機に、槙村が通いつめた県立図書館などで高知の戦争中の軍事施設について調べている。

 図書館の北隣、県立文学館の学芸課長津田加須子(か・ず・こ)さんは、「槙村の詩は気持ちを率直に書いている。いま読んでも、時代状況や心の葛藤が分かりやすい」と解説する。今夏から、槙村の原稿も常設展示する予定だ。

 映画会社「四国文映社」代表の馴田(なれ・た)正満さん(64)は大学時代、先輩に連れられて槙村の墓を訪れた。「厳しい弾圧下でも自分の生き方を通した姿勢に共感した」と振り返る。

 墓は平和町の丘の中腹にあるが、戦後長く忘れられていた。同郷の作家・土佐文雄が槙村の生涯を描いた小説「人間の骨」(66年)は、土佐が鎌を手に林に入り、槙村の墓を探す場面で始まり、「孤独に耐えていた彼の墓をついに見出し」「私の目から涙がふきこぼれた」と記す。関係者らの手で69年に建てられた墓碑には、「反戦革命の詩人 槙村浩墓」と刻まれる。

 槙村の代表作は、長編詩「間島パルチザンの歌」(32年3月)だ。中国東北部の朝鮮族が多い地域で抗日運動をする朝鮮人の思いを歌う。

 おゝ

 蔑すまれ、不具(かたわ)にまで傷づけられた民族の誇りと

 声なき無数の苦悩を載せる故国の土地!

 そのお前の土を

 飢えたお前の子らが

 苦い屈辱と忿懣(ふん・まん)をこめて嚥(の)み下(くだ)すとき――

 お前の暖い胸から無理強ひにもぎ取られたお前の子らが

 うなだれ、押し黙って国境を越えて行くとき――

 お前の土のどん底から

 二千萬の民衆を揺り動かす激憤の熔岩を思へ!

 この詩の碑が城西公園に立つ。槙村を慕う市民が73年に製作したが、建立できる場所が見つからず、浦戸湾に近い高知市横浜に長く置かれていた。現在地に移されたのは89年のことだ。公園は槙村が収監されていた高知刑務所の跡地でもある。

 歌碑の建立や移設にかかわった詩人で「槙村浩の会」会長の猪野(い・の)睦(むつし)さん(80)は、「長い間疎外されてきた槙村を市民の懐に抱かせてあげたくて、街の真ん中に移したのです」と言う。(竹山栄太郎)

 ◇槙村浩◇ 本名吉田豊道。1912年6月1日、高知市廿代町で生まれ、第六小学校4年のとき、その博識ぶりが地元紙に「天才児」と取り上げられた。旧制海南中学校では軍事教練に反対。白紙答案を出す運動を束ね、放校された。20歳を前に本格的に詩作を始め、社会主義運動にも参加。32年4月に治安維持法違反で逮捕され、3年2カ月の獄中生活を送った。非転向のまま出所したが、獄中で患った拘禁性の躁鬱(そう・うつ)病と食道狭窄(きょう・さく)症がもとで、38年9月3日に亡くなった。

◆◆槇村浩=「間島かんとうパルチザンの歌」

想ひ出はおれを故郷へ運ぶ

白頭の嶺を越え 落葉松(からまつ)の林を越え

蘆の根の黒く凍る沼のかなた

赭(あか)ちゃけた地肌に黝(くろ)ずんだ小舎の続くところ

高麗雉子が谷に啼く咸鏡(かんきょう)の村よ

雪溶けの小径(こみち)を踏んで

チゲを負ひ、枯葉を集めに

姉と登った裏山の楢林よ

山番に追はれて石ころ道を駆け下りるふたりの肩に背負縄はいかにきびしく食ひ入ったか

ひゞわれたふたりの足に

吹く風はいかに血ごりを凍らせたか

雪は南にちぎれ

熱風は田のくろに流れる

山から山に雨乞ひに行く村びとの中に

父のかついだ鍬先を凝視(みつ)めながら

眼暈(めま)ひのする空き腹をこらへて

姉と手をつないで越えて行った

あの長い坂路よ

えぞ柳の煙る書堂の陰に

胸を病み、都から帰って来たわかものヽ話は

少年のおれたちにどんなに楽しかったか

わかものは熱するとすぐ咳をした

はげしく咳き入りながら

彼はツァールの暗いロシアを語った

クレムリンに燻(くす)ぶった爆弾と

ネヴァ河の霧に流れた血のしぶきと

雪を踏んでシベリヤに行く囚人の群と

そして十月の朝早く

津浪のやうに街に雪崩れた民衆のどよめきを

ツァールの黒鷲が引き裂かれ

モスコーの空高く鎌と槌(ハンマー)の赤旗が翻ったその日のことを

話し止んで口笛を吹く彼の横顔には痛々しい紅潮が流れ

血がチョゴリの袖を真赤に染めた

崔先生と呼ばれるそのわかものは

あのすざましいどよめきが朝鮮を揺るがした春も見ずに

灰色の雪空に希望を投げて故郷の書堂に逝った

だが、自由の国ロシアの話は

いかに深いあこがれと共に、おれの胸に染み入ったか

おれは北の空に響く素晴らしい建設の轍(わだち)の音を聞き

故国を持たぬおれたちの暗い殖民地の生活を思った

おヽ

蔑まれ、不具(かたわ)にまで傷つけられた民族の誇りと

声なき無数の苦悩を載せる故国の土地!

そのお前の土を

飢えたお前の子らが

苦い屈辱と憤懣(ふんまん)を込めて嚥(の)み下すとき――

お前の暖かい胸から無理強ひにもぎ取られたお前の子らが

うなだれ、押し黙って国境を越えて行くとき――

お前の土のどん底から

二千万の民衆を揺り動かす激情の溶岩を思へ!

おヽ三月一日!

民族の血潮が胸を搏つおれたちのどのひとりが

無限の憎悪を一瞬にたたきつけたおれたちのどのひとりが

一九一九年三月一日を忘れようぞ!

その日

「大韓独立万才!」の声は全土をゆるがし

踏み躙(にじ)られた日章旗に代へて

母国の旗は家々の戸ごとに翻(ひるがえ)った

胸に迫る熱い涙をもっておれはその日を思ひ出す!

反抗のどよめきは故郷の村にまで伝はり

自由の歌は咸鏡の嶺々に谺(こだま)した

おヽ、山から山、谷から谷に溢れ出た虐げられたものらの無数の列よ!

先頭に旗をかざして進む若者と

胸一ぱいに万才をはるかの屋根に呼び交はす老人と

眼に涙を浮べて古い民衆の謡(うた)をうたふ女らと

草の根を齧((かじ)りながら、腹の底からの嬉しさに歓呼の声を振りしぼる少年たち!

赭土(あかつち)の崩れる峠の上で

声を涸らして父母と姉弟が叫びながら、こみ上げてくる熱いものに我知らず流した涙を

おれは決して忘れない!

おヽ

おれたちの自由の歓びはあまりにも短かヽった!

夕暮おれは地平の崖に

煙を揚げて突き進んでくる黒い塊を見た

悪魔のやうに炬火を投げ、村々を焔の浪に浸しながら、

喊声をあげて突貫する日本騎馬隊を!

だが×(焼)け×(崩)れる部落の家々も

丘から丘に炸裂する銃弾の音も、おれたちにとって何であらう

おれたちは咸鏡の男と女

搾取者への反抗に歴史を×(つづ)ったこの故郷の名にかけて

全韓に狼煙を掲げたいくたびかの蜂起に×(血)を滴らせたこの故郷の名にかけて

首うなだれ、おめおめと陣地を敵に渡せようか

旗を捲き、地に伏すものは誰だ?

部署を捨て、敵の鉄蹄に故郷を委せようとするのはどいつだ?

よし、焔がおれたちを包まうと

よし、銃剣を構へた騎馬隊が野獣のやうにおれたちに襲ひ掛からうと

おれたちは高く頭(かしら)を挙げ

昂然と胸を張って

怒涛のやうに嶺をゆるがす万才を叫ぼう!

おれたちが陣地を棄てず、おれたちの歓声が響くところ

「暴圧の雲光を覆ふ」朝鮮の片隅に

おれたちの故国は生き

おれたちの民族の血は脈々と搏(う)つ!

おれたちは咸鏡の男と女!

おう血の三月!―――その日を限りとして

父母と姉におれたちは永久に訣(わか)れた

砲弾に崩れた砂の中に見失った三人の姿を

白衣を地に染めて野に倒れた村びとの間に

紅松へ逆さに掛った屍の間に

銃剣と騎馬隊に隠れながら

夜も昼もおれは探し歩いた

あはれな故国よ!

お前の上に立ちさまよう屍臭はあまりにも痛々しい

銃剣に蜂の巣のやうに×(突)き×(殺)され、生きながら火中に投げ込まれた男たち!

×(姦)され、×(顎)をえぐられ、臓腑まで引きずり出された女たち!

石ころを手にしたまヽ絞め殺された老人ら!

小さい手に母国の旗を握りしめて俯伏(うつぷ)した子供たち!

おヽ君ら、先がけて解放の戦に斃(たお)れた一万五千の同志らの

棺にも蔵(おさ)められず、腐屍(ふし)を禿鷹の餌食に曝す躯(むくろ)の上を

荒れすさんだ村々の上を

茫々たる杉松の密林に身をひそめる火田民(かでんみん)の上を

北鮮の曠野に萌える野の草の薫りを籠めて

吹け!春風よ!

夜中、山はぼうぼうと燃え

火田を囲む群落(むら)の上を、鳥は群れを乱して散った

おれは夜明けの空に

渦を描いて北に飛ぶ鶴を見た

ツルチュクの林を分け

欝蒼(うっそう)たる樹海を越えて

国境へ―――

火のやうに紅い雲の波を貫いて、真直ぐに飛んで行くもの!

その故国に帰る白い列に

おれ、十二の少年の胸は躍った

熱し、咳き込みながら崔先生の語った自由の国へ

春風に翼(はね)を搏(う)たせ

歓びの声をはるかに掲げて

いま楽しい旅をゆくもの

おれは頬を火照らし

手をあげて鶴に応へた

その十三年前の感激をおれは今生々しく想ひ出す

氷塊が川床に砕ける早春の豆満江を渡り

国境を越えてはや十三年

苦い闘争と試練の時期を

おれは長白の平原で過ごした

気まぐれな「時」はおれをロシアから隔て

厳しい生活の鎖は間島(かんとう)におれを繋いだ

だが かつてロシアを見ず

生れてロシアの土を踏まなかったことを、おれは決して悔いない

いまおれの棲むは第二のロシア

民族の墻(かき)を徹したソヴェート!

聞け!銃を手に

深夜結氷を超えた海蘭(ハイラン)の河瀬の音に

密林に野襲の声を谺した汪清(ワンシン)の樹々のひとつひとつに

血ぬられた苦難と建設の譚(ものがたり)を!

風よ、憤懣の響きを籠めて白頭から雪崩れてこい!

濤(なみ)よ、劇憤の沫(しぶ)きを掲げて豆満江から迸(ほとばし)れ!

おヽ、××(日章)旗を翻す強盗ども!

父母と姉と同志の血を血に灑(そそ)ぎ

故国からおれを追ひ

いま剣をかざして間島に迫る日本の兵匪!

◆◆槙村浩=生ける銃架―満洲駐屯兵卒に― 

                     高梁の畠を分けて銃架の影はけふも續いていて行く

銃架よ,お前はおれの心臓に異樣な戰慄を與へる――血のやうな夕日を浴びてお前が默默と進むとき

お前の影は人間の形を失ひ,お前の姿(すがれ)は背嚢に隠れ

お前は思想を持たぬたゞ一箇の生ける銃架だ

きのふもけふもおれは進んで行く銃架を見た

列の先頭に立つ日章旗,揚楊として肥馬に跨る将軍たち,色蒼(いろざめ)め疲れ果てた兵士の群―

おゝこの集團が姿を現はすところ, 中國と日本の壓制者が手を握り, 犠牲の●●は二十二省の土を染めた (●●=鮮血)

(だが經驗は中國の民衆を敎へた!)

見よ,愚劣な旗に対して拳を振る子供らを<顔をそむけて罵る女たちを,無言のまゝ反抗の視線を列に灼きつける男たちを!(=軍)

列はいま奉天の城門をくゞる

――聞け,資本家と利權屋の一隊をあげる歡呼の聲を,軍樂隊の吹奏する勝利の由(よし)を!

やつら、資本家と将軍は確かに勝った!――だがおれたち、どん底に喘ぐ勞働者農民にとつてそれが何の勝利であらう

おれたちの唇は歡呼の聲を叫ぶにはあまりに干乾(ひから)びてゐる

おれたちの胸は凱歌を挙げるには苦し過ぎる

やつらが勝たうと負けようと,中國と日本の兄弟の上に壓の鞭は層一層高く鳴り烈しく喰い入るのだ! (=虐)

おれは思ひ出す,銃劍の冷く光る夜の街に

の傳單を貼り廻して行つた労働者を     (=戰)

招牌の蔭に身を潜め

軒下を忍び塀を攀ち

大膽に敵の目を掠めてその男は作業を續けた

彼が最後の一枚に取り掛かった時

歩哨の鋭い叫びが彼の耳を衝いた

彼は大急ぎでビラを貼り

素早く横手の小路に身を躍らせた

その時彼は背後に迫る靴音を聞き

ゆくてに燦めく銃劔を見た

彼は地上に倒れ,次々にされる銃の下に,潮の退くやうに全身から

脱けて行く力を感じ (=突 =刺 =劔)

おとろへた眼を歩哨の掲げた燈に投げ

裂き捨てられた泥に吸はれた傳單を見詰め

手をかすかに擧げ,唇を慄はし

失はれゆく感覺と懸命に鬪ひながら, 死に至るまで, 守り通した黨の名をとぎれヽヽヽ に呼んだ

・・・・中,國,共,黨,萬・・・・              

――秋。奉天の街上(かいじょう)で銃架はひとりの同志を奪ひ去つた。

しかし次の日の暮れ方,おれは帰りゆく労働者のすべての拳(こぶし) の中(うち)に握り占められたビラの端を見た電柱の前に,倉庫の横に,風にはためく傳單を見た。同志よ安んぜよ,君が死を以て貼り付けたビラの跡はまだ生生しい。

殘された同志はその上へ次次に傳單を貼り廻すであろう

白樺と赤楊(ハンノキ)の重なり合ふ森の茂みに銃架の影はけふも續いて行く

お前の歴史は流に彩られて來た。       (=血)

かつて亀戸の森に隅田*の岸に,また朝鮮に台灣に満洲に

お前は同志の咽をき胸をり  (=突 =破)

堆い死屍の上をに酔い痴れて突き進んだ     (=血)

生ける銃架。 おお,家を離れて野に結ぶ眠りの裡に,風は故郷のたよりをお前に傳へないのか

愛するお前の父,お前の母,お前の妻,お前の子,そして多くのお前の兄妹たちが,土地を逐はれ職場を拒まれ,飢えにやつれ,齒を喰い縛り,拳を握って,遠く北の空に投げる憎しみの眼は,かすかにもお前の夢には通はぬのか

裂き捨てられる立禁の札,馘首に対する大衆抗議。全市を揺がすゼネストの叫び。

雪崩れを打つ反のデモ。吹きまく彈の嵐の中に生命を賭して闘うお前たちおれたちの前衞,     (=戰 =壓)

あゝ●●●●●!                  (●●●●●=日本共産黨) 

――それもお前の眼には映らぬのか!

生ける銃架。お前が目的知らず理由を問はず

お前と同じ他の國の生ける銃架を射し     (=殺)

お前が死を以て衞らねばならぬ前衞の胸に,お前の銃劍を突き刺す時

背後にひゞく萬國資本家の哄笑がお前の耳を打たないのか

突如鉛色の地平に鈍い音響が搾裂する。

砂は崩れ,影は歪み,銃架はを噴いて地上に倒れる。  (=血)

今ひとりの「忠良な臣民」が、こゝに愚劣な生涯を終えた

だがおれは期待する, 他の多くのお前の仲間は, やがて銃をひ,

劔を後にへ  (=後  =狙  =構)

自らの解放に正しい途を撰び,生ける銃架たる事を止(とど)めるであろう

起て満洲の農民労働者

お前の怒りを蒙古の嵐に鍛え,鞍山*の溶鉱炉に溶かし込め!

おう迫りくる ●●の怒濤            (●●=革命)

遠くアムールの岸を噛む波の響きは,興安嶺*(こうあんれい)を越え,松花江(しょうかこう)(スンガリ)*を渡り,哈爾賓(ハルビン)*の寺院を搖すり,間島*(かんとう)の村村に傳はり,あまねく遼寧*(りょうねい)の公司(コンス)を搖るがし,日本駐屯軍の陣營に迫る

おう,國境を越えて腕を結び,の防塞を築くその日はいつ。 (=鐵)

(一九三一月一〇月二四日)

三一書房 『日本プロレタリア文學大系』 第六巻

「彈壓と解體の時代・上」Ⅲ詩・短歌・俳句 から

*隅田=當時隅田川以東は勞働者が多く,その意味で象徴的につかわれている語。

*鞍山=遼寧省のほぼ中央部。古くから鉄が産出,鐵鉱所があった。第一次大戰になぜか勝利した日本帝國が,中國から掠め取るようにして得た鐵鉱の権益によって製鐵所がつくられた。

*興安嶺=大興安嶺山脈「満洲」の黑龍江省の山脈。

*松花江=「満洲」長白山(朝鮮語名は白頭山)を源とするアムール川(黑龍江 Hēilóngjiāng,黑河,黑水)最大の支流。

*哈爾賓=「満洲」の都市としては,清朝光緒帝末期の時代にロシア帝國により満洲を横斷する東清鐵道が敷設されて以來、ロシア人が多く住む地となった。

*間島=おなじく白頭山(長白山)に源を發する豆滿江(中國と北朝鮮の國境線)以北,朝鮮民族が多く居住している。現在は延辺朝鮮族自治州。

*遼寧=北側が吉林省北部,内蒙古自治区,西を河北省。また黄海と渤海はこの遼寧半島によって隔てられる

◆◆槙村浩=出征

今宵電車は進行を止め、バスは傾いたまゝ動かうともせぬ

沿道の両側は雪崩れうつ群衆、提灯と小旗は濤のように蜒り

歓呼の声が怒濤のように跳ね返るなかをおれたちは次々にアーチを潜り、舗道を踏んで

いま駅前の広場に急ぐ

おゝ、不思議ではないか

かくも万歳の声がおれたちを包み

おれたちの旅が

かくも民衆の怒雷の歓呼に送られるとは!

春の街は人いきれにむれ返り

銃を持つ手に熱気さへ伝はる

火の海のやうな市街を見詰めながら、おれはふと思ふ

おれたちこそ

苦闘する中国の兄弟に送られた××(1)の×(2)軍

国境を越えて共に暴圧の鎖を断ち切る自由の戦士!

いま丘を越え

海を越えて

武器を携え急×(3)に赴くおれたちではないかと

けたゝましく響く喇叭の音におれはふと我に返る

……蒋介石ごときは問題ではない

(わが敵はただ第十九路軍……

砂風の吹き荒れる営庭で、拳を固めて怒鳴った肥っちょ聯隊長の姿が、

烈しい憎悪と共にまざ/\と眼の前に浮ぶ

おゝ第十九路軍

屈辱と飢餓の南京政府を蹴飛ばして

下からの兵士の力で作り上げた×(4)衛軍

狼狽する蒋介石を尻目にかけ、敢然と××(5)政府に戦ひを宣した

英雄的な中国のプロレタリアートと貧農の決死隊

きみらの隊列の進むところ

××××(6)の××(7)は惨敗し

土豪・劣紳・買弁が影を潜めた

よし!

×(8)仏英米の強盗ともが、君たちに陣地を棄てよとジュネーヴから命じようと

よし!

妥協した帝国主義者共の大軍が君たちに襲ひ掛からうと

君たち第十九路軍の背後には中国ソヴェート政府が厳存し

君たちの前には

全世界の同志の差し出す無数の腕がある

歩廊に整列し

スナップを踏んでおれたちは乗車する

おれの頭を掠めるは残された同志

あの路地の屋根裏で

Kは今夜もガリ版を切り

Dは円い眼鏡の奥から、人なつこい笑いを覗かせながらビラを刷り

Tは膝の上に「無新」を載せ、黙りこくって糊を煮てゐるだらう

おゝ――それとも

きみらは今宵群衆の中に潜り込み

栗鼠のようにすばしこく、人人の手から手へ反×(9)のビラを渡してゐるのか

欺かれた民衆よ

粧われた感激よ

祝福された兵士たちの何と顔色の蒼いことか

万歳の声に顔をそむけて眼鏡を曇らすおまへ

白布にくるんだ銃を杖に突いてぢっと考へ込むおまへ

とってつけたやうな哄笑で話題を女の話に外らせようとするおまへ

そして恐らくは彼方の車の中で、ごった返す荷物に腰を下ろし馬の首を抱いて泣き濡れてゐるであらうおまへ

枯れた田地と

失業に脅える工場を後に残して

一枚の召集状でむりやりに×××10)行かれるおまへらにとって、顔色の蒼いのは無理ではない

―――だが

今宵おれの胸は嬉しさに膨らみ

心臓は喜びにどきんどきんと鼓動をうつ

おれの喜びは、生れて始めてすばらしい武器を手にしたプロレタリアートの喜びだ!

おれの嬉しさは

戦場といふ大仕掛けの職場の中で兵士の不平を××11)させる導火線

軍隊×××12)となった嬉しさだ!

鎖が鳴り

汽笛の音が早春の夜空に消える

風は駅頭の歌声を消して行き

街の灯は次第にかすかになる

ゆくてに明滅する赤いシグナルを見詰めながら

おれは心に誓ふ!

けふ

たった今からさりげない調子で兵卒のひとりひとりに話し掛け

××13)を覆う神聖なヴェールを引っぺがし中国ソヴェート建設の×14)のものがたりをきみらの胸に沁み込ませ

やがて

怒濤を蹴って港を離れる船の中で

きみらの不平の先頭に立ち

明日上海の塹壕で

××15)委員会の旗幟をたかく掲げ

士官らを壁に×16)たせ全東洋被圧迫大衆の春の歌を高らかにうたふ、揚子江の河べりに

十九路軍の兵士と××××17

……おゝ、おれは×18)衛軍の一兵卒!

明後日

幸におれが

(よし、おれが××19)士官の銃先に斃れようとその時はおれの屍を踏み越えて

更にすぐれた、更に多くの同志たちが)

×20)旗を立て

大衆の心からの歓呼を浴びて

なつかしい故郷へ帰るとき

残された同志らよ

苦闘にやつれた君たちが×21)旗を振って万歳を唱へるとき

おゝその時こそ

共に歌はうぞ

××××××××××22)建設の歌を!

一九三二・四―

「赤い銃火」詩・パンフレット第一輯

(1)革命 (2)援 (3)援 (4)赤 (5)日本 (6)帝国主義 (7)軍隊 (8)日 (9)戦(10)つれて (11)爆発 (12)内細胞 (13)軍隊 (14)党 (15)兵士 (16)立 (17)手を握り (18)赤 (19)帝国 (20)赤 (21)赤 (22)日本ソヴェート共和国

◆◆槙村浩=明日はメーデー

古ぼけたぜんまいがぜいぜいと音を立てて軋きしる

もう十二時になるのに

あなたはまだ帰ってこない

くすぶった電球の下で

私はもう一度紙きれを拡げてみる

―――八時までにはかならず帰る

    待っていてください  T

前の道路を行くヘッドライトが

急に大きく

ぽっかりと障子にうつる

私はぎっくりして

寒い下着の襟をかき合わす

あなたはもう帰ってこない

あなたはセンイのオルグ

朝の四時

氷柱つららを踏んで私たちが工場へ急ぐ時

あなたはニコニコ笑いながら

電柱のかげからビラを渡してくれた

――賃銀三割値上げしろ!

――労働時間を七時間に!

――鬼のような見番制を廃止しろ!

――外出、外泊、通信の自由をよこせ!

――全協日本センイ××(1)分会の確立へ!

ゴジックで大きく書かれたその文句は

焼けつくように私の眼頭めがしらにしみ込んだ

毎日毎日

あなたは電柱のかげに立っていた

氷雨ひさめの降る朝でも

破けた傘にチビけた駒下駄こまげたをはいて

あなたは根気強くビラを渡してくれた

「ありがとうよ」

そういってビラを取る私たちの胸に

あなたの姿はなんというなつかしい印象を残したか

字なみの揃ったインクのかおりは

苦しい生活のなかで

どんなにか私たちを力づけたことか

そして私たちの分会ができた!

乾燥場の奥で私たちは最初の会合を持った

私たちのただ一つの組合である

全協!

その署名を見るたびに

私たちの胸には何かしら熱いものがこみ上げてきた

私たちはこの二字のなかに

全国の同じ工場のなかで

つきのめされ、疲れ切って

資本への憎しみにかたまっているおおぜいの兄妹を見た

旗をかかげ

腕を組んで

最後の日までのたゝかいに突き進む

何万の同志らの叫びを聞いた

私たちは集まって工新の発行を協議した

名前は「セリプレン」ときまった

「セリプレン」は二度めには百部出た

その時から

監督の顔色が険けわしくなり

スパイが工場のなかをうろつき始めた

毎日

不眠で眼をまっかにはらした見番が

何人かの名前を読み上げた

そして

フミちゃんも

しづちゃんも

呼び出されたきり帰ってこなかった

「赤い」というのを口実にしてそろ/\首切りも始まったし

おまけに一時間の居残り労働

積立金はビタ一文くれないで

「お国のために」しがない給料から天引きせねばならんという

「戦地にいる兵士のことを思って」とぬかしやがった社長のハゲチャビンめ

だれが働き手を戦場に連れ出したんだ

だれがもうけるために戦争を始めたんだ

アジビラは[#「アジビラは」は底本では「アシビラは」]毎日のように出たし

分会員の数は三倍にふえた

そこへ二割賃下げの発表だ

工場は急にどよめき出した

レンラクにいそいそとアジトへきた私なのに

立ち上がる日の近づいたという吉報をもって

あなたをよろこばせようとした私なのに

あなたはもう帰ってこない

どの街角であなたはあげられたのか

そして今夜

吹きっさらしの部屋のなかで

どんな拷問にあなたは耐えているのか

手紙を焼き

ガリ版をフロシキに包んで私は外へ出る

この寒空に

張っているパイ公もいないらしい

なつかしいアジトよ さようなら

あなたは帰ってこないが

あなたは後にたくさんの若芽を残した

さあ今夜はビラまき

夜が明けたら

すばらしい野天の五月のお祭りだ

フミちゃんやしづちゃんや

そしてあなたへの復讐に

私たちの解放のために

みんな!

がっちり腕を組んでストにはいろう

――明日はメーデーだ

一九三二・三・一七―

(1)片倉

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投稿者:

Daisuki Kempou

憲法や労働者のたたかいを動画などで紹介するブログです 日本国憲法第97条には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と書かれています。この思想にもとづき、労働者のたたかいの歴史、憲法などを追っかけていきます。ちなみに憲法の「努力」は英語でストラグルstruggle「たたかい」です。 TVドラマ「ダンダリン・労働基準監督」(のなかで段田凛が「会社がイヤなら我慢するか会社を辞めるか2つの選択肢しかないとおっしゃる方もいます。でも本当は3つ目の選択肢があるんです。言うべきことを言い、自分たちの会社を自分たちの手で良いものに変えていくという選択肢です」とのべています。人にとって「たたかうこと」=「仲間と一緒に行動すること」はどういうことなのか紹介動画とあわせて考えていきたいと思います。 私は、映画やテレビのドラマやドキュメントなど映像がもっている力の大きさを痛感している者の一人です。インターネットで提供されてい良質の動画をぜひ整理して紹介したいと考えてこのブログをはじめました。文書や資料は、動画の解説、付属として置いているものです。  カットのマンガと違い、余命わずかなじいさんです。安倍政権の憲法を変えるたくらみが止まるまではとても死にきれません。 憲法とたたかいのblogの総目次は上記のリンクをクリックして下さい

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